【不壊×三志郎】辛き指先、甘く滴るのは、
さわさわと風に揺れる。
青々と繁り豊かに揺れる木々の葉もそうだが、目の前の黒髪も。
見た侭に少し硬く、つんつんと跳ね気味の其れ。今は帽子に隠れて見えないが、手触りはそう悪くは無い。朝起きた時の寝癖は中々見物だ。長さがあれば重力に従うだろうに、三志郎の短い髪は好き放題の方向へと進路を目指す。
此度も、項あたりに可笑しな癖が付くのではなかろうか。
公園のベンチに、だらしなく寝そべってなど居たりしたら。
「…おい、兄ィちゃん」
呼びかけには、全く気力が感じられない。当たり前だ。もう三度目、いや四度目かもしれない。
げぇむに勝利してくれたのは良いが、次の地へ飛んだ途端に此れである。しんどいと呟いて座り込み、腹減ったなあと胃の辺りを押さえ、だったらとっとと今夜の宿を決めろと促して差し上げたら、情けない顔で見上げてきた。
眠ぃ。
閉じてゆく瞼がそう雄弁に物語り、ベンチの座面にべたりと寝そべったのが、三十分程前だった。
「ったく…」
溜息を吐き出して、フエは頭をがりがりと掻いた。
疲れているのは解っている。生温い対撃では無かったし、それなりに苦戦もした(相変わらず撃符の使い方がなっていないのが原因というのもあるのだが)。
次のげぇむまでの時間はたっぷりとある事だし、少しは休ませてやっても良いだろう。半分は、そう思っての放置である。もう半分は、根気よく起こすのが面倒臭いからだ。
ヒトがするようにフエもまた、三志郎が眠るベンチの隅に腰を降ろす。
人の通りは殆ど無い、中途半端な時間。大きな公園などというものは意外に何処にでもあるもので、丸太をくりぬいた形の運動玩具が、木々の向こうに見えたりもする。
夕暮れになったら、頭を叩いてやるとするか。
我ながら甘くなったもんだ。長い脚を組み、フエは三志郎の寝顔を見下ろした。
転がった所為でずれた帽子の隙間から、小さな耳が覗いている。乱れた髪が日に焼けた頬を縁取り、眉は穏やか、睫は伏せられ、唇は僅か開いて。
安らかな寝息を繰り返す、己のパートナー。運命を共にする相手。
最早関係は、『個魔』と『ぷれい屋』の其れだけでは無くなった。
其の所為か、以前よりも後ろめたさを感じることなく、其の寝顔を眺める事が出来る。
―――触れても差し支えの無い、距離。
起こさないように等と、意識して考えた訳ではない。けれど常よりも遥かに緩やかに、白い手袋を模した指先が、軽く開いた唇に触れた。
「…ん」
つう、となぞる。声が漏れる。
くすぐったいのだろう、眉が一度寄せられ、けれど直ぐに、元に戻る。
顔を背けないのは、触れられるのに慣れたからなのか。口元が吊り上るのを感じながら、フエは親指の腹で、下の唇を端から端まで辿った。
弾む感触。少し押す。柔らかい。
「気づけよ、ちっとはよ」
襲われても文句言えねェぞ。
と、ご丁寧に進言して差し上げたが、其れも届いていないようだ。
ならばもう暫し、この束の間の一方的な戯れを続けて居たい―――とは言うものの、起きたとしても止める気はさらさら無かった。目を開いたら舌先を見せ付けて、れろりといやらしく舐め上げてやる所存だ。
此処に、この場所に、舌先で触れた方がもっと気持ちが良いという事を知っている。
蕩けるような弾力が、この乾いた己の唇と擦れ濡れるのが堪らない。故意にではないと解っているが、忍び込めば慌てて押し返してしまう其の頼り無ささえ、もっとやってくれ絡めてくれと懇願されているようにしか錯覚出来ない。
我ながら情けの無い。子供相手に。
しかしながら、如何足掻いた所で如何しようもない。如何にも為らかなったからこそ、こういった関係に成ったのだ。
後悔はしてない。恐らく。
ああもう考えるのも面倒だと、何時もの其れで思考を放棄。
ゆるゆると動かしていた指先に、少しばかり悪戯を込めた。
「ん、っ」
爪の先程の深さを、唇の隙間に捩じ込んでみる。上下の柔らかさに挟まれ、自然と笑みが漏れた。
何処まで無防備でいる心算なのだろうか。不意に、もしも三志郎が他のぷれい屋と何かの拍子で一晩を共にするような事があったとしたらと考えた。全く、おちおち影に潜んでも居られない話だ。
瞬時にして何処ぞの某ギター小僧の顔が浮かび、あまり宜しくない気分になった。
が。
「ぁむ」
音というか声というか、よくわからないものが漏れたと同時に。
親指の間接までが、生温さに包まれた。
「…………」
見下ろすと、三志郎の口が先程よりも丸く開き、親指を咥え込んでいる。
むぐむぐと唇が動き、柔らかい舌が、指の腹に触れていた。
―――満更じゃねェ。
先程の不愉快も忘れ、にいぃと唇を吊り上げてしまうフエである。
何を思ってか或いは何も思っていないのか、恐らく後者だろう。寝惚けた音を零しながら、口内の浅い場所で指がちりちりと動かされる。
口の端からとろりと涎が垂れて、ああだらしねェなと拭おうとする、自分の顔の方が恐らくだらしないだろうということは伏せて置いた。
本当は舐め取ってしまいたい、甘い唾液。絡めてしまいたい舌先。
しかしながら場所が場所だとっとと寝る床が決まりゃあどうにでも。と思いながら、フエは名残しく指を引き抜、
がり 。
…抜けなかった。
痛みは後から響いた。
そして色んな意味で、声も出なかった。
「ッ…!!」
最早食むだの噛むだの生温い位ではない。
此れは咀嚼だ。食物を砕かんとする動きだ。慌てて力ずくで指を引っこ抜く。
そういえば眠りに付く前に、腹が減った等と言っていたか。それにしたってこの仕打ちは無いのではないか。なまじ悪い気分で無かっただけに、腹が立つ。
「兄ィちゃん…」
深く細く息を吐きながら、若干怒気を孕んだ声で名を呼んだ。
揺さぶるよりは効果があったのだろうか、名残惜しく口をもごつかせていた三志郎が、漸く瞳を開けた。
「んぉー…」
くぐもった、如何にも寝起き然としただらしの無い声である。
三志郎は呻き、覗き込むというより見下ろしているフエを、まどろんだ琥珀色で捕えた。
それが余りにも情けないので、あのなァ、の、あの部分でもう口に出す気も失せた。含まれた所為でたっぷりと湿ってしまった指を見て、何だってこんな子供にと、再び今更の言葉を投げかけたくなる。
舐めとってやりたいと思ったあの甘い唾液すら、今はすっ呆けた情けの無い寝涎にしか見えない。雰囲気とはかくも偉大かつ重用だと痛感。
其の間に、三志郎の目は二度ばかりぱちぱちと瞬いた。
節くれ立ったフエの指を眺め、一つ。垂れてきた涎を手の甲でぐいと拭って、もう一つ。
そして、未だ眠りの淵に腰まで浸かった侭の温けた声で、ぽつりと、
「フエ、不味い」
べぇと舌が出され、顔がそっぽを向く。
眉根に皺が寄り、其の侭、瞼はぱたりと閉じられた。
―――何なンだこの仕打ちは。
不味いっててめェさんざ舐めしゃぶっといてそりゃあ無ェだろうその気にさせておいて。
そう思う反面、冷静になって見れば手を出したのは此方であって、眠る相手に場所と時間を弁えないちょっかいを出したが為の罰と言えばまあそう考えられなくも無いというか何と言うか。
だからといって、これはなかろう。
心の底から萎えてしまったフエの背後で、夕暮れを告げる烏がくわあと響いた。