【不壊×三志郎】2-妖に向けられる言霊の作用と、其の付随効果について

何処が良いんだ、何が好いんだ、

「んじゃ、後は頼むな。おやすみ、フエ」
 ひらひらと暗闇の中で小さな手が振られ、笑顔が寝顔に変わる。
 昼間の熱を持て余した今宵は暖かく、雨の降る気配も無い。野宿を選んだ三志郎が、探索の途中で見つけた林の中の柔らかい草の上を選んで寝転がった。
 自然に囲まれた島育ちの少年は、土と草のにおいを疎ましくは思わない。寧ろ好ましく、慣れ親しんだ感触に頬を緩ませて、するりと眠りに落ちていく。
 月の灯りは木々を透かして真上に。
 寝姿を微かに照らし、影は身体の真下へと静かに蟠る。
 すうすうと寝息が聞こえてきた頃に、其の影から、ぬるりと頭が生えた。
(何とも、まあ)
 と、呟くのは音ではなく思考。
 音も立てずにゆっくりと、三志郎の頭の直ぐ側に、鼻までの高さでフエの顔が覗いた。
 間近で眺める寝顔は、既にノンレム睡眠を開始しているかのように穏やかだった。お休み三秒よりも瞬きの間、と表現しても良さそうな寝つきの良さだ。昼間の活動で余程疲れていたのだろう、何時も被っている帽子を傍らに置き、額と頬とを月光に晒して、三志郎は眠る。
 赤い視線で其れを眺め、すう、と、フエの瞳が細まった。
「無防備が過ぎるぜ、兄ィちゃん」
 口にはするも、声は瞳のように細められていた。無意識に働いた、起こす心算のない顰めた問いかけ―――否、起きて欲しくない、というのが真実か。
 まあ、多少声を大きくした所で、夢の淵にまで無事辿り着いてしまっているであろうその睡眠を妨げることなど出来ない気もするが。
 其れでも、フエの声も、瞳も、細い侭だ。

『俺、フエのことは好きだぜ?』

 屈託の無い笑顔で、数時間前に放たれた言葉。
 未だこの伽藍堂の真ん中に突き刺さって―――というよりも熔けて沁みて、離れない。
 言の葉に宿る力の強さは知っている。放った主の想いと真実が大きければ大きい程、強く作用する感情の具現。
 妖のこの身に、此れだけ強く響くのであれば。
 其れは紛れも無い本心なのだろう。言葉の意味も感情も、何も間違っては居ない。
 疑う余地も在りはしない、純粋で真っ直ぐな好意―――だからこそ、
「だからこそ、性質が悪ィんだ」
 此度は腕を影から引き出して、筋張った片手で頭を掻く。
 声音は呆れ顔を其の侭に。まるで苦虫を噛み潰したかのような、面倒臭そうな、其れで居て何処か満更でもなさそうな、あやふやな表現だった。
「なァ、兄ィちゃん」
 少しばかり自嘲の笑みを含ませて、フエの顔が三志郎に近づいていく。
「『好き』なんてでけぇ言霊、そんな簡単に使うもんじゃねぇぜ」
 こちとら重傷だ。
 重傷なのか重症なのか、最早フエにも解らない。
 小さく暖かく、其れで居てずんと重い―――想いの分だけ、其れは重たく響く。
 無邪気と無意識を混ぜた、ある意味何よりも最強の言霊だ。御陰様で、らしくもない事ばかり繰り返してしまう。
 『好きだ』と言う、笑顔。
 其の前からずっと、何処かで熾き火のようなものが燻っていた。
 嗚呼眩しいと思った、其れが爆ぜた。恐らく捕らわれた瞬間だったのだろう。
 あまりにも強く照るものだから、瞳を細めないと眼球が焼けてしまいそうだ。逸らしてしまう視線の言い訳を考えながら、頭を掻く為の手を、すうと伸ばした。
 其の手は、背中に触れた左手。
 熱く火照った小さな其処を、楽にしてやりたいと思ったのか―――理由は解りたくないが、この手は紛れも無く、三志郎の背を癒した手。

『好きだぜ』

 何処が良いんだ、何が好いんだ、その『好き』はどの『好き』だ。
 冷たいからか、涼しいからか、それとも他の理由か。どうなんだ。
 瞬時にして浮かんだ疑問を振り払う。思わず口を突いて出そうになった、まるでらしくない言葉を飲み込んだ。
 頬に触れようとした手を、伸ばした時よりもゆっくりと戻す。
「ぅー…」
 不意に、三志郎の眉がぐっと寄せられ、唇が何事か呟いた。
 ぎょっとして、思わず影の中へと逃げる。何時の間にか腰まで這い出てしまっていた身体を、最初のように顔半分迄に戻して、フエは少しばかり距離の出来た寝顔を窺った。
「んが」
 視線の先で三志郎が、子供にしてはえらく堂に入った音で鼻を鳴らす。
 其の侭、一度眉間を強く寄せる。そして緩慢に、仰向けに転がり、再び安らかな寝息を零し始める。
 シャツがめくれ、腹と臍が思い切り天を向いた。
「…………はァ」
 顔を片手で覆い、フエは深い溜息をついた。
 何だってこんな、色恋も惚れた腫れたも理解できそうにない子供に。
 そう呟き、待てそもそも別に俺ァこの餓鬼にどうこうってな考えてなんぞ居ねェと思い直し、其の言い訳めいた言い方があまりにも情けなく―――更に深く、不覚の溜息。
 ああもう、面倒くさいったらない。
「勘弁してくれよ、兄ィちゃん」
 本当に身が持たないかもしれない、此の侭では。
 もう一度窺うと、三志郎は苦悩など露知らずの安らかな寝顔で、二回目の鼻鼾を、空に向かって打ち上げたところだった。