【不壊×三志郎】1-ヒトより発される言霊の威力と、其れが及ぼす影響について

 何だってこんなにも、都会というのは熱いのだろうか。
「兄ィちゃんの故郷と違って、此処いらの地面は全部アスファルトだからな。
 地表面が高温になると温度も上がる。で、温度が上がりゃあ冷房だの何だのの排気量が増えて、更に高温に拍車をかけるって訳だ」
「なんか難しくてよくわかんねぇ…」
 影の中から出て来もせずに、フエが声だけですらすらと説明をしてくれたが、理由はどうであれ熱いものは熱いのだ。
 はあ、と熱い息をついて、三志郎は団扇代わりに帽子で顔に風を送った。
 暑いのではなく、熱い。
 ぐらぐらと煮え立つような熱気から逃げて見つけたのは、ちょっとした大きさの公園の中の木陰だった。 遊歩道から少しばかり外れた木々の隙間、此処ならば地面が舗装されていない分、まだマシだろうと滑り込んだ。
 確かに、頭上からの直射日光と足元からの熱気を浴びている時よりは、ずっといい。
 けれど散々焼かれた肌は未だ焼けるように熱く、木々の向こうに聳える建物が邪魔をして風も届かない。冷える様子を見せない頬の汗を拭い、三志郎は木の根にへたりと座り込んだ。
「なーぁ、フエー… 出て来いよー…」
 足を前に投げ出して呼ぶと、その足の間から、フエの頭がぬうと覗いた。
 腰のあたりまで身体を作り上げれば、視線の高さは同じ。
 ヒトではない男は、色の悪い肌を焼いた気配も汗をかいた気配もなく、いつもどおりの人を食ったような表情で三志郎に眼をやった。
「だらしねェな、兄ィちゃん。しゃんとしな」
「あー…無理…あつい…」
 はたはたと手を振って、三志郎ががくりと項垂れる。何時もは元気に立っている髪が、体力にあわせて下を向いていた。
「お前、暑くねぇの?」
「全然」
「何で?」
 視線だけが上がり、大きな瞳が赤い其れと出会う。
 すうと細くなったのは、笑ったからだろう。嫌味な形に歪んだ口元が、あのなァ、と、苦笑とも呆れともつかない言葉を漏らす。
「俺ァ妖だぜ。人間じゃあるまいし、こんなん何とも感じねェよ」
「ずりぃ…」
 さらりと余裕を口にされ、何だか腹が立つ。小さく呟くと、何が狡いんだと軽く頭を叩かれた。
 ―――其の手が、随分とひやりとしていて。
「あ」
 上目遣いだった視線を顔ごと上げ、三志郎ははたと、フエの手を見た。
 白い手袋に覆われた、大きくて筋張った左の掌。一番太陽を浴びた黒髪に触れた瞬間、肌まで少しばかり、涼しくなったような。
「どうした、兄ィちゃん」
 じいと手を見つめる三志郎を、フエが訝しげに見下ろす。
 交わらない視線の行方は、掌へ注がれ、一度フエの顔を見上げ、今度は色の悪い胸元へと移動。
 ああそうかと呟くと、
「ちょっと、貸して」
 其の侭倒れこむ形で、フエの鳩尾に頭突きをかました。
「ぐふッ」
 と、頭上から小さなうめき声が聞こえた気がしたが、気にしている余裕は無かった。
 思ったとおり、頬と額を押し付けた其処は涼しかった。真夏の日にコンビニに逃げ込んだ時の、あの急激冷凍のような冷たさではなく、其れこそ故郷の庭先で、氷を前に置いた扇風機の風に当たるような心地よさ。
「うおー生き返る… フエって影から出てくっから、涼しいんかなと思ったら、大当たりだ」
「兄ィちゃん…」
「んー、ちょっとでいいから…」
 うめき声の次は、呆れというよりやや怒気を孕んだ声だった。しかしこの魅惑の涼しさには何者にも勝てまい。
 だるい両腕を引き上げ、真っ黒い外套を掴んで更に近づく。触れた箇所がゆっくりと冷まされて、特に剥きだしだった両腕など、癒されていくといっても過言ではなかった。
 気配で、フエが溜息をついたのが解る。面倒くさそうに、片腕が背中に触れた。
「おお、冷やっこい」
 嬉しそうに笑うと、もう一つ、溜息が聞こえた。
「個魔のやることじゃねぇンだけどなァ…」
「堅っ苦しいこと言うなよ。今、すげぇお前がいてくれて良かったとか思ってるぞ、俺」
 言いながら、堅い胸辺りにすり、と頬を寄せる。
 ご都合のよろしいこって―――等と返されるかと思っていたが、フエは何も言わなかった。代わりに暫く黙った後、「暑いのは苦手かい、兄ィちゃん」と、いつもの口調で問いかけて来た。
 少しばかり不自然な、会話の転換。しかし三志郎は気にも止めず、
「苦手じゃねぇよ、どっちかっつーと好きだ。でもこういう熱いのは、ヤだな」
 言葉を返して、体温を吸うことのない不思議な黒い表面に、反対側の頬も押し付けた。
 フエの手が背中に触れていて、其処はもう、火傷のような熱さを忘れていた。もう少しばかり下の方も触れて欲しく、自分で身体を動かして、其の場所を訂正。
 開かれた掌は、ぴくりとも動かない。
 「俺の居たとこじゃさ、気温が三十五度だーっとかってなっても、風とか、木陰とか、そういうのがあれば全然辛くねぇんだ。暑いけど涼しいっての?
 でもほら、さっきフエが言ってたアスファルトうんたらとか、そういうので熱いのは、好きじゃねぇ」
「…そうかい」
「どっちかっつーと寒い方が苦手。動き回ってりゃあったかくなるけどさ、朝、布団から出らんなくなるし」
 漸く、熱さに奪われた気力が回復してきたのだろう。いかにも子供らしく、いつもどおりの声で、三志郎は笑いながら言った。
「あ、でも」

「俺、フエのことは好きだぜ?」

 ぴくん、と。
 動く事の無かった背中の掌が、僅かだが、跳ねた。
「冷やっこいけど、気持ちいっつーか…お前の手とか」
 コレ、と、黒衣から片手を離して、三志郎の手が、先程頭へ触れた左手を取った。掴んでも指が回りきらない手首もやはり冷たく、しかし、心地よい。
 何故かされるがままの其れを持ち上げて、ひたりと頬に当ててみた。
「うん、気持ちいや」
 うっとりと呟く。
 ―――返事は無かった。
「…フエ?」
 どうした?
 冷えるにまかせる頬を離し、顎を垂直に上げる形で、三志郎はフエを見上げた。
 尖った顎が明後日の方向を向いている。視線は遠くで、何処を見ているのか解らない。
 只、眉間にはえらく深い皹が打たれていて、何時もは皮肉に笑っている唇が一文字に結ばれていた。
「フエってば、おい」
 再度の問いかけ、と、手を伸ばし、冷たい頬の辺りをべちべちと叩いた。
 幼い掌の感触に、フエの肩が跳ね、まるで今まで何処かへ飛んでしまっていたかのような視線が、漸く三志郎へと戻って来る。
 三度目の問いかけは、視線で。
「……………何でもねェよ」
 答えるフエは、再びふいとそっぽを向いて。
 心地良かった背中の掌がすっと離れてしまう。思わず不満を露に服を掴もうとすると、其れよりも早く影に逃げられた。
「あ、もうちょっと」
「休憩は終いだ、兄ィちゃん」
 名残惜しそうな三志郎の影から、フエの頭だけが覗いて言った。
「ゆっくりしてる暇があったら、ちィっとは撃符の使い方でも勉強しな」
「ちぇ、ケチ」
 説教好きらしく連なりそうな小言を遮って、三志郎は尻を叩いて立ち上がった。
 見上げれば、太陽は真上よりも少しばかり傾いた位置でかんかんと照っている。木々の向こうは灼熱地獄。あそこに戻って歩みを進めて、逆日本への入口を探さねばならない。
 簡易にして単純だが、効果覿面な冷却で随分と身体は楽になった。フエの言うとおり、此の侭のんびりとしている訳にはいかない。
「んじゃ、頑張るとすっか!」
 軽く屈伸などして、ひとつ伸び。
 それからぱっと振り返ると、三志郎の影と木々の影、二つが重なり複雑な模様と化した黒色の中に、フエが戻っていく所だった。
 その背中へ、三志郎はにかりと笑って。
「サンキュな、フエ。すげぇ気持ちよかった!」
 言って、今度こそ前を見て、灼熱のアスファルトへと駆けてゆく。
 そうかい、と、気の無さそうに返すフエの顔が、遥か明後日の方向を向いたままだと言う事にも気づかずに。