【独普】Hallo! Mein bruder.7日目 それぞれの生活へ

独×普人名パラレル・兄弟設定


  白い息を吐き出して歩く。背中で感じていた視線はもう無かった。
  遠ざかっていく足音を、これで良かったのだときつく思ってやり過ごす。
  ギルベルトの手の中、握り締めたキーは冷えていた。外気に触れた瞬間、きん、と氷のように冷たくなったのだ。
「後悔してんじゃないの?」
  不意に声をかけられ、ギルベルトは足を止めた。
  車を停めた路肩の端、街灯に照らされた金髪が薄ら光を放っている。ゆるく持ち上げた口元は皮肉とも同情ともつかない笑みを浮かべて、よう、と小さく挨拶する形に動いた。
  寄りかかっていたビートルのボンネットから腰を上げ、フランシスは軽く手を上げた。
「何だ、帰ってなかったのかよ」
「それが気使って席をはずしてやったやさしいお兄さんに言うことか?」
「空気読めんならそれが当たり前だろ。…あー、荷物重ぇ。片方持てコラ」
  そう言い捨てて決まり悪く視線を外し、ギルベルトは手にしたボストンバッグをひとつ放り投げた。重たいそれをどうにか受け止めて、フランシスは目前の友人の顔をじっと見る。
  その視線を無視して、もうひとつのバッグを後部座席に放り込む。荷物を置いても、肩の重みは取れなかった。
「お前さ、移動する度に荷物全部もってくのやめろよ。おいとけばいいじゃん」
「バカか。おいといて盗まれたらどうすんだ。俺の全てが詰まってんだぞ」
「全てねえ… じゃあ弟も鞄に詰めて持って帰っちゃえば?」
「…入るか。あいつでかいんだよ」
  軽口を――流しきれただろうか。運転席のドアに触れたままギルベルトはため息をつく。
  らしくない覇気の無さに、フランシスは肩をすくめた。好きなものを――大事なものを近くに置かないでおくという選択肢を、ギルベルトが選んだことが意外過ぎてしっくりこないのだ。
  ギルベルトの生活に、安定と安住という言葉ほど似合わないものはない。それでも、ほかの者なら、惚れた女や誰かなら、きっと連れて行った。根拠の無い自信を以ってして、「俺についてこい!」の一言で、地球の裏側へだって連れて行ってしまうはずだ。
  真っ赤なボストンバッグは無計画な荷造りを体言して、はじけそうなほどぱんぱんに詰まってしまっている。こんな風に何も考えずに、連れて行ってしまえばきっと楽だろう。それが出来なかったのは、彼が、兄だから。フランシスはそう思う。
  皮肉なものだ――一番大事なものが弟だった、だから、そばに居られない。
  同じ轍を歩ませたくないが為に、ギルベルトには無い安定を、弟にだけは与えたいと思うが為に。
  そう思うと、自分はまだ報われている方なのかなあ、と、傍若無人な恋人の背中を思い出して、フランシスが苦笑した。
「…何笑ってんだよ」
  バッグを持ったまま黙るフランシスを、じとりと睨み付けてギルベルトは言った。
「俺がルッツを攫って来なかったのがそんなにおかしいか」
「んー?おかしいって言えば、おかしいけど。らしいって言えばらしい」
「…あ?」
「置き引きに合うから荷物は持ち歩くなら、弟だって、ほっといたら可愛い女の子に持ってかれちゃうかも」
「…それでも」
「幸せならいい、んだろ?だから、おかしいしらしくない。それが兄貴ってもんなのかね、と思った訳よ。おにーさんは」
  そう言って笑ってから、フランシスもまた、後部座席に荷物を放り込んだ。言葉の意味をはかりかねて、ギルベルトが黙る。
  ビートルをはさんで向かい合う二人の男。片方は笑顔で、片方は難しい顔。
  沈黙を破ったのは、やはり、フランシスだった。
「…ま、もし振られちゃったら慰めてやんよ。おにーさんの熱い胸で!」
「暑苦しいの間違いだろうが。お断りだ」
  おどけて両腕を開いてみせるフランシスに、冷たい返答が返された。街灯の光を浴びてきらきらと輝く金髪に、形だけならば整った顔立ちの男がそうしている のは絵になる。だが、ギルベルトは心のどこから引けばそんな表情になるのか、という程どん引いた。どん引きついでにさっさとドアを開けて、その振る舞いか ら目をそらした。
  ひでーなお前ーと口を尖らせながら、フランシスも助手席のシートに滑り込んでくる。キーを差し込み、冷えたグリップを握り、ギルベルトは瞑目した。一、二、三秒。
  フランシスが(あれでも)気を使ってくれているのは分かっている。自分も後悔していない。それでも肩の重みが抜けないのは――もうどうしようもないことだ。
(愛するルートヴィヒ。試すような真似をしたのは俺だ、詫びるつもりも無い)
  ――非道な兄と思うなら断ち切ってくれて構わない。フランシスの言うように、女が出来てそちらを大事にしたいというなら、それも構わない。
  けれどきっとお前は、何年かかっても両親を説得して、俺を呼ぶのだと信じている。同じ気持ちであることを、心変わりなどないことを、信じている。
(同じ血が流れている。この感情も、同じものだ)
  そう、誰にも届かない本心を口の中でだけ呟いてから、ギルベルトは顔を上げた。
  その顔に先程までの憂いは無く、無理やりなのか心からからなのか分からない、払拭した表情がそこにあった。
  驚いた顔をしたフランシスに、いつもどおりの不敵な笑みを浮かべて見せる。
(不安など無い。――だから俺は、俺の生活に戻るだけだ)
  かみ締めてそう思い、ギルベルトはアクセルを踏み込んだ。急発進する勢いに押されて、フランシスが狭いシートの上でバランスを崩す。
  それをけらけらと笑って、赤紫の瞳は夜明けのように笑った。
「よし、そんじゃあ引っ越し祝いに飲みに行くか!特別に俺様が奢ってやるぜ!」