03 ブラン・ブランシュ(last)

子供が気に入った玩具を片時も手放さないでいるのを見るような、そんな気分だった。
  余りにも落ち込んだ顔をするから、少しからかってやろうと思っただけだったのに。想像を上回る表情を浮かべて苛々しながら舌打ちばかりする、その様子を不覚にも可愛いと思ってしまった。
  好きなだけ触っていいよと言ってやったら、本当にそうするのだから全くまいった。
  頭を引き寄せていたのは失敗だった。一体どんな顔をして、飽きもせずに長い間、両手でわしゃわしゃと髪弄りをしていたのだろう。きっと仏頂面だったに違いない。
  ――そう、そして、今も多分そんな顔をしているはず。
  寝たふりをする獏良の髪を、先ほどから指先が梳いているのだから。
(目を開けたら見られるのに)
  見れるけれど、多分終わってしまう。だから安らかな寝息を演じて目を閉じている。
  さんざ弄った後、バクラは妙に上機嫌になって髪から肌をまさぐり始めた。あ、セックスもするんだと思いながら流れるままに流されて、そこから先はいつもどおりの展開。ただ、弄っていいと言ったからか髪に触れることが多かった。掴んで引き寄せるという強引で痛む所作から、髪ごと首筋に噛み付いてじっとり舐めあげるなんて温い所作まで。
  そうしてたっぷりと汗まみれになるまで交わって、暫く意識を手放していた。
  目を覚ましたのはほんの数分前。耳に何か触れたのを感じて、バクラの指だと思い当たった。その指がゆるゆると上下して、髪を梳かれているのだとわかる。
  起きていると知ったら、きっと手を止めるだろう。いつもならばバクラの邪魔はむしろ進んでする獏良だけれど、今日はそんな気分にならなかった。多分、落ち込んだ顔がおもしろかわいかったからだろうと思う。
(理解はできないんだけど、ね)
  正直、獏良にはそこまで髪に執着される理由が全く解らなかった。
  ものぐさで伸ばしているだけで、量が多くて、湿気が強い日はうねって跳ねて厄介だ。冬は首周りが暖かくて重宝するけれど、逆に夏は鬱陶しくてたまらない、白い髪。色素が薄くて細くて、日が当たるとちらちら光ることは友人から聞いた。
『獏良くんの髪って綺麗だよね』
  クラスメイトの女子にそう言われたこともある。言われてはじめて、ああそうなんだ綺麗なんだ。と奇妙な自覚をしたものだ。
  バクラはそれをいたく気に入っているらしい。お前そんな動き出来るの、と指差して笑いたくなるくらい、梳く動きが緩くて噴出しそうになってしまう。いやいや、我慢だ。
  ゆがみそうな口元を押さえていると、くい。
  軽い痛みと共に頭皮が引っ張られた。どうやら、掴んで持ち上げられたようだ。
(…ん)
  まさか引っこ抜いたりしないだろう、と思いながら、もう一方の危惧が持ち上がる。髪をオカズに自慰をされたら流石に引く。引くだけではない。たぶん千年リングごと海か何かに投げ捨てる。あとばっさり切り落としてやる絶対そうする。
  あながち無いと言い切れないんじゃないか――理解できないフェティシズムに、少しばかり肩が緊張した。
  好奇心というより警戒心が勝って、躊躇い数秒。ほんの少しだけ、獏良は目を開けた。
  目にした光景は、まったく予想外だった。
  持ち上げたひと房に唇を押し当てられているなんて、欠片も予想していなかったのだ。
(う、わ…!)
  首の後ろと頬に、瞬間的に熱が込み上げた。恐ろしく恥ずかしいものを見てしまった――反射で獏良は目を閉じ、居た堪れない感情のままにわななきそうな唇をきゅっと引き結んだ。
(何、なにやってんのばかじゃないのおまえ)
  よりにもよってそんな顔でそんなこと。
  寝そべる獏良が見上げた表情は、薄く目を伏せて、珍しく眉間の皺を少なくしていた。持ち上げた髪はこめかみ近くから流れてくる一部分で、絡まった飴を切り落とした部分も多分そこに含まれている。
  まるで愛しいものにするように、見たこともないほど静かな動きで、髪の先に唇を寄せていた。
  うわっ気持ち悪っ、と思えたらそれでよかったのに。自分の髪にされているのだと思うと驚くほど恥ずかしい。こちらが目覚めていないと思っている分、気を抜いているだろうから――だから浮かべられる表情。ひょっとしていつも、自分が知らない間にこんな顔で見られたりしていたのだろうか。
  だとしたら恥ずかしすぎる。知らなくてよかった。顔を見たいだなんて思っていた数分前の自分にもし進言できるなら、絶対に止めておいた方がいいと厳しく言うに違いない。
(やだやだやだもうこういうのはずるいひどい)
  大切なものにするみたいな動きなんて、こいつが出来るなんて思いもしなかった。されたこともないからどんな反応をしていいのかさっぱり解らない。獏良はぎゅっと目を閉じて、ぎこちなく身体を動かした。寝ぼけたふりをして背中を向けて逃げたのだ。
  きっと、するすると掌から退散した髪をバクラは目で追っているに違いない、ひどく残念そうな顔で。心臓が苦しい、一体何なのもう本当勘弁してよ、内心叫びながら手足を縮ませる。
  閉じたい鼓膜へ、は、と擦れた溜息が聞こえた。
  まだやるのかと唇を噛む。次やられたら起きる。そんでもって変態とか罵ってやろうそうしよう。
  飛び起きる覚悟を固めていると、頭の上に、ぽん。掌が置かれた。
  くしゃくしゃくしゃ、と、掻き混ぜられる。
「…さっさと起きろよ」
(っ…!)
  反則だ、言葉の割に低い声まで甘ったるい。
  なんてことだろう、飛び起きることも出来ない。
  獏良はもう身体を硬くして、ただただバクラが満足するか飽きるかするまで耐えるしか方法がなくなってしまった。もしくはこの羞恥に耐え切れず自分が逆切れする方が早いか。
  いままで生きてきた人生のなかで、いっとう甘ったるい拷問の中で獏良は身悶える。
  ああ、髪に触覚がなくて本当によかった。
  だってそんな優しく撫でられ続けたら、恥も外聞もなく興奮してしまうに違いないのだ!