ぼくらのイエロープラネット

「あれが乙女座、で、となりが獅子座。分かりやすいでしょ?」
「どこがだよ…」
  と、理解不能の四文字を顔に貼り付けてバクラが言う。吐き出した息は夜の空気を揺らして、新緑の季節で濃くなった緑の匂いに混じって消えた。
  空にはちかちかと光る星。小高い丘の上、小さな展望台で二人揃って夜空を見上げている。
「何でわかんないかなあ、あ、横向きだからかなひょっとして」
  首傾げて見てみるといいよ、と、獏良はバクラにしか見えない指先でもって、空のてっぺんを指差した。
  身体を借りて肉眼で眺めてみてもやっぱりわからない。デートしようよ、といういつか聞いたことのある誘い文句に乗って二十三時の外出をしたのはいいが、やっていることは色気も何もない正真正銘の星見だった。今年はお花見できなかったから代わりに星を見てみよう、今日は天気がいいからいろいろ見れるよ、と、似合いもしない――いや、ある意味似合っているのか――えらくロマンチックな行為に、バクラは数時間前からつき合わされている。
  獏良が言う。乙女座、獅子座、牛飼い座におおぐま座。
  それらはどんなに目を凝らしても、小さな光を適当に夜空の天幕にぶちまけただけの無秩序な並びにしか見えなかった。どうやら宿主サマの目には、それらがきちんと、名前の通りの象徴そのものの姿に見える、らしい。
「あのよく光ってるところが麦の穂のとこ。ね?」
  ね?と言われたところで、そもそもその「よく光ってるところ」自体がどこだか分からない。
  いったいこの青い目の玉には、星空がどのように見えているのだろう――ちょっとそら恐ろしい気がして、バクラは空から己の宿主へ、視線を移した。
「…宿主サマよお」
「ん?」
「てめえ、本当にあれがヒトだの動物の形だのに見えんのか」
「うん。天気がいい日は賑やかすぎてちょっと目が痛い」
「……そうかよ…」
  理解できねえ。
  低く呻いて、バクラは展望台の手すりにぐったりと両腕を絡めてうな垂れた。
「てめえの電波っぷりは今に始まったことじゃねえけどよ…」
「失礼だなあ。バクラがおかしいんだよ。心の目がにごってるんだよ」
「心ン中が真っ黒なてめえに言われたくねえ」
  はああ、と溜息をついて、がつん。ペンキ塗りの手すりに額を押し付ける。持たされた双眼鏡がぶらぶら揺れた。
「大体、こんなモンどっから手に入れた?」
「遊戯くんに借りたんだー」
「ああ、器の遊戯ならもってそうだな、ガキだし」
「お前のために借りてあげたんだから、手荒に扱わないでね。明日返すんだから」
  別に頼んだ覚えは全く無い。というか、何がしたくてこんなばかげた子供っぽいことをしなければならないのだろう――こんなことなら外出を拒んで、心の部屋でしっぽり楽しんでいればよかった。大体暗いところで遊ぶならこんな人口の明かりが目立つ場所よりも、何一つ照らされることのない心の闇の方がいいに決まっているだろう。光が欲しいなら、獏良がその目玉を開いていればいいのだ。魂のような燐光が真っ黒に塗りつぶされた空間にふたつぽつりと浮かび上がって、そんな星見なら悪くない気がする。
  我ながらつまらないことを考えて、バクラはがしがしと頭を掻いた。その傍らで、獏良はふわふわと浮遊しながら空を眺めている。
「知ってる? 星って名前つけられるらしいよ」
  休憩時間の戯言か、唇がそんな言葉を吐いた。
「新しい星を発見したら、学名に発見した人の名前がつくんだって」
「そうかい」
「お前が見つけたらバクラって星になるんだよね。そっか…バクラはお星様になっちゃうのか…」
「嫌な言い方すんな。何だ、天文学者にでもなっててめえの名前を全世界に発信してえのか?」
  随分と自己主張の激しい宿主サマだこと。と、戯れに付き合ってバクラは意地悪を言う。その目前に、さかさまになった獏良が迫り、つまんないこと言わないでよと口を尖らせた。
「そんなかわいくないこと言うと、獏良星がどこにあるのか教えてあげないよ?」
「あん?」
「先ほど、誰も見たことが無い星を発見したのでボクの名前をつけたのです」
  えっへん。
  手すりの向こう、足裏の先は絶壁状態にあるその空間で胸を張って、獏良はバクラに向かって笑顔を見せた。
  ますます意味が分からない。いや、獏良の行動が意味不明だということはよく知っていたが、今日はちょっと予測不可能だ。興味も無い星見に付き合わされたことでイライラしているのもあるが、いつもに増して先が読めない。この目の前の夜空くらい、一寸先は闇だ。
  黙って獏良を見つめていると、その視線をポジティブきわまる解釈でもって肯定意見としたのだろう。獏良はちょいちょいと指を動かして、バクラの手の先にぶら下がっている双眼鏡を目に当てるように促した。
  ここで抗うとまた面倒なことになる。一度決めたことは絶対に(本人が飽きるまで)やりとおすのが獏良了だ。しぶしぶ休憩を切り上げて、言われたとおりに双眼鏡を持ち上げる。スコープの向こうには相変わらず、何が何だかわからない星々が控えめに瞬いていた。
「もうちょっと下がって、んー、左に先回。ななめ下」
  傍らで指示を出す声が近い。身体があったら互いの吐息が触れ合うほどの距離だ。ありもしない体温をわずかに感じた錯覚が、居心地悪く気持悪い。
「あ、その辺。黄色いの見えない?」
  気配で指をさされ、バクラは視線を正面にすえた。
  並んでいるのはぎらぎら眩しいネオンと色彩。赤、緑、青、白、そしてビルの群れ。人口物ひしめく童実野の町並みが、レンズの力で拡大されて、バクラの目に飛び込んできた。
  その中に、見慣れたマンションが映り込む。ひときわ黄色い、ぼんやりとした部屋の灯り。
「…てめえの部屋か、ひょっとして」
「正解!」
  きゃらきゃらと笑って、獏良はいきなりレンズの向こうへ顔を覗かせてきた。青い瞳がピンボケして、大写しになる。思わず顔を背け、バクラは自前のふたつ目玉でもって、己の宿主を見た。
「星でもなんでもねえだろうが。つか、このために電気つけっぱなしにしてきたのかよ」
「ううん偶然。さっき思い出したから適当に言ってみただけ」
  名づけて童実野星雲、獏良星? そんなくだらないことを言って、獏良はふわりとバクラの傍らに降り立った。
「だって見えないって言うからさ。これならお前でも分かるでしょ?」
「そもそも星じゃ…あーもー面倒くせえ、分かった分かった、分かったからもう帰んぞ」
「ボクらの星に帰るんだね」
「変な言い方すんじゃねえよ…」
  もう身体代われよ、と、うんざりした口調でバクラは言った。両手をポケットに突っ込もうとして、手の中の双眼鏡が邪魔をする。こんな微妙に重たいものをぶら下げて帰路につくのはごめんである。
  だが獏良はすいと逃げるように空中を泳いで、肉体の支配権を拒絶した。悲しいお知らせがあります、と、いかにも切なげな顔をして、首を振る。
「残念ながら、獏良星に帰還するための宇宙船は、本日終了してしまいました」
「…てめえ、まさか」
  はっとして腕時計を見る。と、短針が指しているのは十二を少し過ぎた位置。
  愕然とした表情を浮かべるバクラに、とどめの一撃が突き刺さった。
「帰りのバス、たぶんもうないや!」