【独普】猫になれないder hund.

ヒエラルキーの底様 DancingQueen より


 フランシスに誘われ、アーサーがダンサーを勤めるバーから帰宅したその翌日。
 弟手製のパンに齧り付きながら、ギルベルトは昨晩の顛末を朝から元気よく語っていた。
「お似合いのKoeniginっぷりだったぜ。絶対他人に媚びねえような男が、まさかねえ」
 ひとしきりの説明の後、いや驚いた、と言うと、それまで沈黙していたルートヴィヒがおもむろに口を開いた。
「そういう言い方はないだろう、ギルベルト」
「だってよ、ポールダンスだぜ?」
 職業選択の自由からそれを選ぶってのはよ、と、悪びれもせずギルベルトは言う。
 馬鹿にしているわけでは全くない。むしろ感嘆の意で喋っているのだが、もとより口のよろしくない彼の喋り方は誤解を招く。ルートヴィヒは聞き捨てならない、という顔で、静かにフォークを置いた。
「それこそ自由だろう。どのような職業であれ、それで収入を得ているのだから、立派な仕事だ」
「何だよ、妙に絡むじゃねえか」
「お前の言い方に問題があるからだろう。第一、ダンサーという職業に就くには並々ならぬ技術が必要だ。人気があるというのなら一層、弛まぬ努力を重ねているはずだぞ」
「他人のPenisおっ勃てるための努力、ってか?」
「いい加減にしろ。出来もしない癖にプロフェッショナルを馬鹿にするような言い方をするんじゃない」
「…んだと?」
 カラン、と、ギルベルトの手からもフォークが離れた。赤紫の瞳に剣呑な光が宿る。
「今なんつった、ルッツ」
「技術を持たない者が専門家を貶すな、と言っている」
「ああ!? 俺様を誰だと思ってんだお前。棒とダンスするくらい朝飯前だっつーの!」

「――という訳なんだ」
 明らかに疲れ、そして申し訳ない顔でルートヴィヒは頭を下げた。
 彼の前には、呆れ顔のアーサーと苦笑いのフランシスが並んでいる。アーサーはその細い腕を組み、不本意丸出しの顔で黙っていた。
「迷惑をかけて本当にすまない」
「まあ、言っても聞かない奴だからな」
 そっぽをむいた『女王様』の代わりに、フランシスが応える。場所はというと、アーサーが所属するバーのオーナーが経営しているダンススタジオだ。本来ならばスクールの生徒がレッスンに励んでいるであろう昼過ぎ、彼ら以外の姿はない。
 売り言葉に買い言葉、で、いきり立ったギルベルトが朝食後にフランシスへと連絡し、今から俺の華麗なポールダンスを見せてやるから場所を提供しやがれという指令が下った。フランシスからアーサーへ、アーサーからオーナーへ。何処かでスケジュールや場所の問題で無理が生じてなかったことになるはずのこの即席劇は、たまたま休日が重なった彼らの恐ろしいほどの偶然と、アーサーを気に入っているオーナーの二つ返事で実現してしまった。
 都合したアーサー自身、絶対に破談になることを見越して、いやいやながら相談に応じたのだ。やはり最初から断るべきだった、という考えの甘さに、彼はより機嫌を悪くしている。
 諸悪の根源はというと、ここにいない。着替えてくると言ってから三十分、まだ戻ってこないのだ。
「それにしても、なーにやってんだろうな、あいつは」
「分からん…」
 頭痛がするのか、額を押さえてルートヴィヒは首を振った。血縁者の不祥事というのは見るに耐えない。
 気まずい沈黙があと五分ほど続いたところで――更衣室の扉が勢いよく開いた。
「待たせたな凡人共!さあ俺の華麗なるダンスを見せてやるからそこへ並べ!」
 そう啖呵を切った彼の立ち姿を見て、ルートヴィヒは言葉にならない呻き声を上げた。
 話に聞いていたボンテージとは程遠いが、明らかに意識して狙ったパンクスタイル。というのも、着ているジャケットやパンツは彼の私物である。もともと、そういう格好が好きなのだ。好みのバンドのライブにも良く通っている。
 エナメルではなくレザーのジャケットは素肌に。首のチョーカーも同様にレザー。チェーンを短くしているが、常に首に下げているKreuzはそのままだ。細い足の線を隠せないぴったりとしたローライズのパンツ。そして――唯一私物ではないのが、膝からつま先までを覆う編み上げのロングブーツだった。凶器なのではないかというほど、踵の尖った――所謂、ピンヒールの。
「ギ…」
 ギルベルトと呼ぼうとした、弟の声がかすれて消えた。フランシスは隣でぬるく笑っている。
「…なんていうか、形から入るタイプ?」
 それにしてもそのブーツどうしたの、と、フランシスが誰にともなく問いかけた。ギルベルトが答える前に、アーサーが口を開く。
「貸した」
「あれ、お前の?」
「仕事用のやつだ。貸せっつーから、貸した」
「はあ…」
 意外と足小さいのねあいつ。そんなことを逃避的に思ったりする。
 先ほどから、女王様の言葉は極端に少ない。もともと自分の職業をプライベートにまで持ち込まれるのが嫌なのだ。後でご機嫌取りが大変だこれは、と、フランシスは仁王立ちする悪友をジト目で見る。
 意にも介さず、彼はふん、と鼻を鳴らし、腰に手を当てて胸を張った。
 そして、悠然とポールへ歩み寄ろうと足を上げて、
「ぬぉわっ!?」
 華麗に転んだ。
「……………」
「……………」
「……………」
 三人分の沈黙が、スタジオに静かに積もる。
 ピンヒール。名前の通りの踵だ。踏みしめれば床に突き刺さりそうなそれで歩くというのは、見た目以上に困難である。立ち上がるだけならまだしも、歩くにはウォーキングのレッスンを繰り返し、そして漸くダンスへと移行できる。初めて履く人間――しかも男性――が、おいそれと履きこなせる代物ではなかった。
「いてぇ!やべえ今足首すげえ変な方向に曲がったぞ!おいルッツ見てねえで助けろ!」
「……………ああ」
 蚊の鳴くような声で、弟は答えた。口が開いたままの二人に申し訳のなさそうな会釈をして、ルートヴィヒはスタジオ入り口に尻餅をついたままの兄を迎えに行った。
 伊達ではない――ボディビルのような美の目的ではなく実際の鍛錬で鍛えあがった筋肉を持つルートヴィヒの腕が、ギルベルトをやすやすと引き上げる。肩を貸しても歩けるとは思えないので、情けないことに抱き上げられてしまう。
 部屋の隅のパイプ椅子に下ろされたところで、ギルベルトが口を開いた。
「おいフラン、有り得ねえぞこれ!人間の履くもんじゃねえよ!」
「あー…そうねー…」
「アーサーお前足どうなってんだ?いや別に俺だって頑張れば出来るけどな!!」
「できてねえだろ…」
 座った途端に、弁解ではなく文句を口にし始める彼を、冷ややかを通り越した目線で二人は眺めていた。
 そうしているうちに、ルートヴィヒは黙々と、ギルベルトのブーツを脱がせにかかっている。膝から始まるストリングスは長く、脱ぐのに時間がかかる。着替えに行った時にギルベルトの帰りが遅かったのはその所為だろう。兄の前に跪き、立てた膝の上に片足を置いて作業しているが――膝まで鋼鉄の筋肉を有しているのだろうか、踵がスラックスの上から刺さっているというのに、眉ひとつ動かさない。
「こんなあほみてえな靴考えついた奴の気が知れねえよマジで!なあルッツ!」
「ああそうだな。分かったから動くな」
「おう。それよりアーサー、ちなみにダンサーっていくらくらいもらえんの?」
 聞き流した相槌と生返事。アーサーは深いため息をついて、何も言わずにフランシスの脛を蹴った。
 ん?と、フランシスが視線を横へ流す。正直、ああ靴脱がすのってなんかやらしくていいなーつうか脱がし慣れし過ぎてやしませんかルートヴィヒさんこんなところで天然のろけ見せられるって俺なんか悪いことしたかな神様。とか考えていたので、反応に少々遅れた。その分足はとても痛かった。
 痛みを堪えていつものように笑ってみせる。綺麗なエメラルドグリーンが、冷めた視線でもってフランシスを睨みつけていた。
「なあに坊ちゃん」
「あいつ、何人目の客だったか覚えてるか」
「えーと、五十人目?」
「じゃあ五十人分ノーカウントだ」
「ええ!?」
 突然のお言葉に、フランシスの声が若干裏返った。おいおいそれはひどいんじゃない暴君ですかと言おうとしたところを、視線が射抜く。バーに足を絡ませながら男を見下ろす、ぞくりとするほど冷徹なQueenの顔で。
「自分の不始末は自分で片付けろよ」
 あとあの靴はもう履けねえからあいつらの好きにさせとけ。
 そう言って、アーサーはくるりと踵を返した。背中に正直やってられないと書いてあるような、そんな雰囲気だった。
 履けないと言うのはどういう意味だろうかと思い兄弟の方を見やると、脱げた左のブーツのヒールが少し曲がっていた。なるほど、傷物でステージに上がる訳には行くまい。
 ご機嫌直しに何をすべきか。とフランシスは考える。取り敢えず、駄目にされてしまったブーツの代わりに似合いそうな靴をプレゼントしよう。それに美味い酒と美味い飯。それらで先ほどのノーカウントを帳消しにしてもらえるかどうか――後は自分の口先次第だ。
 経費は全部あいつらに請求しようそうしよう。フランシスは固くそう心に誓いつつ、このままスタジオから出て行ってしまいそうなアーサーを追いかけた。