【独普】僕らの愛は有罪

Cattleya*様 フェンスネタ より


 

 ひどく息の詰まる閉鎖した空間のなかで、いっときだけ、自由に呼吸できる場所がある。
 そこを目指して歩く。通り過ぎる学友たちは皆、自分と反対の方向へと歩んでいく。人波に逆らって奥へ奥へ。
 狭い世界。全てが枯木色の煉瓦と金網で囲まれたここを、人は学園だと呼ぶけれどそれは違う。監獄だ。顔を上げれば空が見えるが、それはどこで見ても四角く切り取られている。
 つくづく自分には合わない場所なのだ――ギルベルトは思った。
 口うるさい教師も、血筋の良いお坊ちゃん生徒も、お堅い規則に沿って動く時間も、何もかもが。
 逃げ出したい気持ちに駆られるが、それができるのならとうの昔にそうしている。できないから求めたのだ。厳格な規律の隙間の、小さな死角を。
 自然、早足になる。厳冬の足音が聞こえ始めたこの季節、土は固くざくざくと音を立てた。
 石畳すら敷かれて居ない学園の――高等部の片隅にひっそりと立つ大きな針葉樹の下。
 世界を区分けする金網の向こうに、見慣れた金髪を見た。
「ルッツ!」
 思わず、辿り着く前に声をあげてしまった。こちらに背を向け、金網に寄りかかっていたルートヴィヒが驚いて振り返る。
「馬鹿者、声が大きい…!」
 そう言って、左右に油断のない視線を走らせる。叱咤の声もギルベルトより押さえられていた。
 針葉樹を迂回して、その影に隠れるようにして、ギルベルトは弟の下へ到着した。
 全く同じ制服姿。違うのはタイの色だけだ。中等部の青と高等部の赤。背の高さと顔立ちで見ればどう見てもルートヴィヒが高等部所属に見えるが、彼のタイは凍る海のようなBlauだ。
「誰かに聞こえたらどうする」
「そんな大声出しちゃいねえ。それにこんなとこまで来る物好きは俺たちくらいだ」
 だから会えるんじゃねえか――と、ギルベルトは白い息を吐き出して唇を曲げて見せた。
 血の繋がりがありながら、共に生活できないもどかしさ。それぞれの寮と学院棟は、ルートヴィヒを縦に二人並べても手が届かない鋼鉄の金網で仕切られている。無論、仕切られた向こう側とこちら側の一切の接触は禁じられていた。会話すら、手紙すらも。
 主だった場所には警備員が目を光らせ、金網に近づくこともできはしない。
 唯一、この場所――学院棟からも職員棟からも寮からも離れたここだけに、時間がつくる穴がある。月に一度、酷いときは二月に一度。学生の休憩時間と監視員の交代時間が重なるほんの数分、空白ができるのだ。
 ギルベルトの身体を隠してあまりある巨木がそれを助け、逢瀬ははじめて現実となる。
「久しぶりだな、ギルベルト。変わりは無いか?」
 声を潜めて、弟は兄に問いかける。ギルベルトの背後、巨木の向こうに監視者の目がないかを常に確認しながら。
 ギルベルトもまた、彼の背中を隠す煉瓦造りの倉庫の向こうを横目でちらりと見てから頷く。互いの背中を守りながら、二人は金網越しに向かい合った。
「こっちは相変わらずだ、つまんねえお勉強につまんねえクラスメイト。頭が腐りそうだぜ」
「目立つことはするんじゃないぞ。お前の素行がこちらにまで聞こえてくるようになったら、俺の胃が潰れる」
「このくそったれた壁を越えて俺様の名前が轟くってのは気分がいいな。やってみるか?」
「馬鹿をいうな。規律違反でもしてみろ、厳罰は免れんぞ」
 そうなっても、俺はそちらにはいけない、と、ルートヴィヒは憎々しげに目を細めて金網を掴んだ。
「お前の噂を耳にしながら、一人ここで指を咥えて耐えろというのか――兄さん」
「…例え話だって。おっかねえ顔すんなよ。大丈夫だ、うまくやってる」
 かしん、と金属が軋む音。黒い手袋に覆われた大きな五指が金網をきつく掴むのを見て、ギルベルトはその指の上に手のひらを乗せた。なだめるように二回、ぽんぽん、と叩く。そして、
「ほら、色男が台無しだぜ。次はいつ会えるかわかんねえんだ、お兄様にようく顔を見せろ」
 そんな茶化した言葉を添えて、ギルベルトの目が細められる。Purpurの瞳はまるで鉱石のようだ。そこにルートヴィヒの顔が鏡映る。
「もっと近く」
 求められるままに、ルートヴィヒは顔を近づけた。金網に鼻先が当たる。
「もっと」
「これ以上は無理だ」
「うるせえ、もっとだ」
 吐息が届いた。互いの頬に。
 同じ手袋をした、大きさの違う手が金網の同じ箇所に触れている。隙間を縫って滑り込むルートヴィヒの筋張った指を、ギルベルトの指が掴んだ。もう片手は、ルートヴィヒがギルベルトの手首を金網ごと掴んでいる。
 瞳に、相手の顔以外のものが映らないほどの距離。ルートヴィヒの眉が、不意に切なげに潜められた。
 その顔が、ああ、やはりこいつはいい男だと一瞬見とれる自分がいることをギルベルトは自覚する。当たり前だ。自分の弟なのだから。
 近づく顔。言葉にせずとも思惑は伝わる。
 荒い網目の狭間で、漸く――冷えた二つの唇が出会った。
「っ…」
 目の前で、ルートヴィヒが瞳を閉じるのが見えた。何故か、理由は分かっている。
 閉じた視界に金網は映らない。握り合う手と触れた唇。それだけの世界に没頭する。倣って瞼を伏せれば、闇の中にでもいとしい弟の姿を思えた。
 なんと不自由なのだろう。なんと不条理なのだろう。
 こんなにも求め合っているというのに、自分たちを囲う厳格な規律は全てを否定する。兄弟のつながりも、愛情も、全て。
 かくれてこっそりと逢引をする、そのスリルは嫌いではない。そういう危うい綱渡りは背中がぞくぞくする。
 たった一人で規律違反をするのなら、純粋に楽しめただろう。だがこの逢瀬が明るみに出た時、罰を受けるのは自分だけではない。弟もまた、同じ罰を受けるだろう。
 だから、静かな接吻を。本当は互いの呼吸を奪い合うような、舌と舌で互いの魂をもすすり取ってしまうような口付けがしたい。あられもなく声を上げてしまいたい。憎らしいほど広い弟の背に爪を立てて抱き合いたい。けれど――いくらここが死角とはいえ、派手な真似は禁物だ。ルートヴィヒもそう理解しているからこそ、ただ唇を重ねるだけの、音の無い接吻を交わす。
 ひどくもどかしかった。苛立ちも、不条理への怒りも、何もかもが腹に溜まる。
「ルッツ――」
 唇を合わせたまま、ギルベルトは小さく弟の名を呼んだ。
 何だ、と応えると、当たり前だが唇がこすれる。どこか淫靡で、ぞくりとした。
「壁、壊しちまいてえな」
「ギルベルト、お前、」
「大丈夫だって。何もしねえよ。言ってみただけだ」
 なにもしない。
 言い聞かせるように囁いて、もう一度、唇を奪った。
 吐息の交換すら出来ない浅い接吻。いつになったら、自分たちは抱き合うことができるのだろう。卒業したら?未来さえ不安になる。
 無事その日は訪れるだろうか。弟が笑い、自分も笑い、固く固く互いを引き寄せ合える日が。
 想うだけならば、願うだけならば、罪にはなるまい。人前で、決して口に出しさえしなければいいのだ。
 だからせめてと、二人は監獄の中で幸せな夢を見る。
 ああ――もうすぐ、逢瀬の終わりを告げる鐘が鳴る頃だ。