【仏英】Rideauは真実を隠す檻
Cattleya*様 フェンスネタ より
誰にだって秘密はある。それを暴こうとするのは愚かな行為だ。例えどんなに知りたくとも。
(ああ、また)
見ている。
執務机の上から視線だけを横にずらして、アーサーは小さくため息をついた。
同じ部屋の中にいるのに、まるで一人きりのようだ。普段なら決して、二人でこの部屋にいる時に、フランシスがアーサーから目を離すことはないのに。それをいつも鬱陶しいと思っているのに、それた途端、これだ。自分の無様な思考にうんざりとする。
何を見ているのだろう、と思っていた。
時折、そう、月に一度、あるかないか。フランシスは窓の向こうを注視している。
窓枠に腰掛け、長い足を片方曲げて行儀悪く淵に引っ掛けて。立てた膝に方肘を突いて、その蒼い瞳は何処を見ているのだろう。何を見ているのだろう。煉瓦と金網に覆われたこの世界の向こう側、この部屋からなら一望できる街並みに自由を重ねて憧憬しているのかもしれない。生徒の中では比較的優位な立場にいる生徒会役員とて、結局は虜囚と同じなのだ。
不意に、フランシスが息を吐き出して顔を上げた。上げた、ということは、視線は真っ直ぐではなく下に向いていたということだ。そこには石畳しかない。この時間、歩いている生徒も少ないだろう。誰を――見て、いたのだろう。
チ、と、勝手に舌打ちをしていた。フランシスにではない。この女々しくもみっともない思考にだ。
もう何ヶ月、こんな気持ちの悪い悩みの中に身を浸していると思っている。いい加減にしたい。
ぱん、と音を立ててアーサーはペンを机に置いた。含んでいたインクがペン先から弾けて、真っ白い紙の上に黒い斑点を刻む。
音に驚いたフランシスが振り返る時には、窓枠のすぐ近くに歩み寄っていた。
「ん、どした坊ちゃん」
「…別に」
その呼び方も嫌いだ。相手が年上なのはわかっているが、子ども扱いされる年齢差ではないだろう。
腹立たしいと同時に、視線がこちらに向けられたことに満足している自分がいる。今まで吐き出そうとしていた追及の言葉が喉につかえた。笑顔、に、負けてしまう。
結局口に出したのは、いつもと変わらない皮肉だった。
「仕事しないんだったら出てけよ。邪魔」
「でもアーサー、まだ終わんないでしょ?」
だから待ってんの、と、フランシスは窓枠から降りてそう言った。
嘘吐きが。アーサーは影で固く拳を結んだ。何かを見ているくせに。誰かを見ているくせに。待っているだなんて、そんな。
飲み込んだ言葉がまた勢いをつけて競りあがってくる。
誰にだって秘密はある。それを暴こうとするのは愚かな行為だ。例えどんなに知りたくとも――でも。
「…なに」
「ん?」
「なに、見てんだ」
最近、ときどき、ずっと。
視線を合わせられなかった。斜め下、フランシスの革靴の爪先を睨みつけながら、アーサーは呟いた。
フランシスが少し驚いたように、きれいな蒼い瞳を丸くする。そして、和む。
アーサーが顔を上げていさえすれば、その様子が見えただろう。いとおしさに滲む、その双眸が。
「何も見てねーよ?」
「うそだ」
「うそじゃないって」
「うそだ。見てるとこ見てたんだぞ」
一度口に出してしまった言葉は、もう止めようがなかった。数ヶ月の間蓄積していたものがとめどなく溢れてくる。こんなことをもし自分が言われていたら、きっとものすごく不愉快だろう。ふざけるな、関係ないだろう、干渉するなと吐いていたに違いない。
自己嫌悪がぐるぐると頭を回る。俯いていたせいで、フランシスがこちらに手を伸ばしたことにアーサーは気づかなかった。
頬に指先。はじかれて顔を上げると、すぐ近くに笑みを浮かべた顔があった。
「見てたの?」
「…あ?」
「俺がここに居る時、アーサーはずっと俺のこと見てたんだ?」
そう問いかける声は、からかいがひとさじと、あとの全てはなにか甘いもので出来ているとしか思えなかった。しまったと思い耳が勝手に熱くなる。ばれた。というか、自爆した。
「べ、べつにお前のこと考えてとかじゃないからな!景色を見ようとしたらお前がいて邪魔だっただけだ!」
「うん、そっか。ごめんな。でも今はアーサーのことしか見てないよ」
「ばッ…」
馬鹿野郎、と怒鳴ろうとした唇を、唇で塞がれた。
一瞬頭の中がばちりと白くなる。そしてすぐに、青くなる。
ここはどこだ。ここは生徒会室、学院棟の最上階。鍵は。かけてない。窓は。外から見える。誰かに見られたら――
「っざけんな!場所考えろ!」
甘やかに逃避してしまいたい気持ちもあった。けれど胸に輝く生徒会長のバッヂがそれを許さない。自分の立場、フランシスの立場。立っているこの場所は、非常に危ういのだ。
胸を押してフランシスを引き剥がすと、彼は苦笑いのようなものを浮かべ、それでも唇は笑っていた。
離れようとする動きを、アーサーよりも一回り大きな手が抱いて制して、もう片手で、綺麗に束ねられた長い長いカーテンの止め具を掴む。ジャッ、と音を立てて、二人の身体はカーテンに包まれた。
「見えなかったら、いいよな」
途端に薄暗くなった視界、すぐ近くでフランシスがそう言う。不覚にも、目を奪われた。
間近に迫った青い瞳。その中に映っている自分。先ほどまで窓の向こうを眺めていた、他のものに意識を奪われていた全てが自分を向いている。誰も、いない。そう思うと、抵抗という言葉の意味を、忘れた。
こんな隠れ方は不十分だ。カーテンは足元まであり、身体を包むようにしているけれど、鍵が開いているのだから誰かが入ってきたらすぐに気づく。外からだって、窓の端の妙な様子に気づくだろう。
それでも、視線の磁力には逆らえなかった。くそったれ、と汚い言葉を吐いて、アーサーは口を閉じる。
くす、と笑った吐息が耳元をくすぐり、二度目の接吻けは、先程よりも強引に振ってきた。
「ん、く…」
自然、鼻から甘ったれた声が漏れる。屈辱だ。だが、気持ちがいい。
腰を抱く手とカーテンを掴んだ手、両方がアーサーの身体を支えている。両手が塞がったフランシスの代わりに、アーサーはおずおずと手を伸ばした。制服の胸元あたりをぎゅっと掴む。気配が笑う。
小さく開いた唇を優しくこじ開けて、フランシスの舌がアーサーの歯列を軽くなぜた。濡れたノックに応じると、滑り込む舌先。やけくそで差し出した舌と絡む。
「ふ、ぅ、んんっ……」
ひく、ひく、と、アーサーの膝が震えた。こんな濃厚な、ショコラのようなキスは本当に久しぶりだ。忙殺と立場と規律と、三重苦に阻まれて手を触れることも稀だと言うのに。
腰を抱くフランシスの手に、力が篭った。崩れ落ちそうな細い身体を支える為に、身体がより密着する。故意にか偶然か、足の間に膝が割り込んできて、アーサーは情けない悲鳴を上げた。そんなことをされたら、理性だって剥がれる。逃げようとするとレールががちゃがちゃと音を立てた。カーテンが揺れる。外から見える。誰かいたらどうしよう。
恐怖感から、アーサーは少しだけ目を開いた。巻き込んだカーテン、フランシスの身体の向こうに隙間が出来ている。向こうに窓。
階下の石畳の端が、見える。
「っ……!」
ぎゅ、と、アーサーは目を閉じた。
見ない。知りたくない。フランシスが見ていたものなど。
本当は何も解決していない。山積みの仕事。フランシスの視線。自分の胸のうちのわだかまり。何一つそのままだ。いや、かえって悪化している。
このキスが、フランシスによるごまかしの意味を含んでいるのかもしれないとも思っていた。なし崩しにして曖昧にして、本当のことを隠しておきたいのかもしれない。
もし本気で彼がそう思っているのなら、今度こそ、追及するのはやめよう。
何もかもを教えろ知らせろなどと、面倒な女のようなわがままを押し付けたくない。フランシスのためではなくて、これは自分のプライドを守るために。
ああ、なんて面倒くさいのだろう。
その面倒くさいことを忘れる為に、キスをする。ごまかしでも方便で