【悪友】Da ist besetzt.

これの後日談です。普視点でほぼ仏英。


 どうせつながらないだろうという予想と、ほんのひとさじの期待が目の前に回る。プロイセンの白い手が握り締めた携帯には、すこし汗が滲んでいた。
『まあうちの女王様のお相手してる時は出ないから、つながらない時は察してくれたまえ』
 というふざけた言葉が脳裏をよぎるが、もとはといえば勝手に登録してきたのだ、好きに扱ってかまうまい。
 この連絡に意味はない。ただ、数日前に強制的に記録されたアドレスを眺めていたらなんとなく掛けてみたくなっただけだ。ちなみに数分前にスペインに掛けてみたが――フランスとスペインならスペインの方が話しかけやすい。やはりあのヒゲ男は少し苦手なのだ、とも思う――その時は他愛もない話をし、一応先日の茶会で馳走されたビスコッチョの批評をした。プロイセンからしてみれば味を褒めてやったのだが、スペインに的には辛口にも程がある評価だったらしく、もうお前には食わしてやらんわー!と叫ばれた。そして、次はフランスの家で夕飯を食べよう明日にでも。と勝手に決めた、それだけだ。
 それだけだが、妙に胸の奥がじわりとするような感覚があった。
 楽しかった、などとは言わない。言いたくない。この携帯で弟以外との者と会話するのは初めてだったが、話をするというのはこんな感覚だったか、と不思議に思った。多分ふざけたことを言われても殴れないからだ、と思うことにした。
 そして今は、フランスのアドレスに繋いで通話を待っている。
 自分は何故こんなことをしているのだろう、と、プロイセンはぼんやり思った。
 ――そうだ、料理。スペインと決めた夕飯の話をすればいい。俺の嫌いなものを作らないように事細かに命令しておかなければ。
 理由が出来て少し安堵した、そんな自分には気づかないふり。
 接続音のあと、しばらくのコール。八回目で、『アロー。みんなのフランスお兄さんだよー』と、ふざけた声が電波となって鼓膜に響いた。
「お、おう、フランスか?」
『他に誰がいんの。こんな美声で誰隔てなくご挨拶をしてあげる優しい男は俺しかいないね』
「黙れ。あー… 今、いいか」
『んん、ちょっとなら。てか、今いいかなんてそんな相手の都合に合わせるなんてこと、お前が言うとは思わなかった』
「お前みたいな性欲と無駄毛しかない男に気遣いをしてやる優しい男は俺しかいねえよ」
『言うじゃない。で、何?』
 声が上ずったのは最初だけだった。いつもどおりのフランスに、いつもどおりの皮肉を返す余裕が出てくる。
 かさかさ、と、声の近くで音がする。紙の音だろうか。仕事中だったか。まあいい、様子を聞いてはやったが慮るつもりなど初めからない。
 腰掛けたソファの肘掛を意味もなくこつこつと爪で叩きながら、プロイセンは口を開いた。
「明日お前んちでフルコース食うことに決めたから、俺様とアホスペインの分を用意しておけ」
『お前ねえ…迷惑とか考えねえの?』
「この俺にご馳走できることを光栄に思えよ。肉はあんまいれんじゃねえぞ。もたれる。Kartoffelメインにしろ」
『お前どんだけじゃがいも好きなんだよ。やだよぐっちゃぐちゃに潰されるの見てて気分わりいもん』
 第一じゃがいもメインのフルコースって何だよ、と、フランスは喉の奥で笑った。いつもどおりに会話がすすむ。
 プロイセンもまた喉で笑い、もう一言二言投げてやろうかと口を開くと――いきなり、携帯の向こうでなあに、と甘い声が聞こえてきた。
 瞬間、ぞわ、と、悪寒が走った。
「て、てめぇ何だいまのいきなりすげえ気持ち悪ぃ――」
『あー、ちょっと待って』
 と、プロイセンに返されたのは先程の甘さのかけらもない言葉だった。わけの分からない状況にプロイセンは眉根にしわを寄せる。
 突然、ごつりと音がした。この音は知っている、受話器をどこかに置いた音と同じだ。ということは向こうは通話中だというのに携帯をどこかへ置いたらしい。そしてがさがさと何かの音。恐らく離れていくのは足音だ。遠くで誰かの声が聞こえてくる。二人分の。
「おいフランス、」
 呼びかけてみるが返事はない。向こうはもう携帯から手を放しているのだ。かすかに聞こえてくる声が、勝手に電波となってプロイセンの耳に入ってくる。

 ――…なせよ、もう……る…
 ――何言って…… 拗ね………みし…った?
 ――…っざけんな…放せ……ばか…

 甘ったるいフランスの声と誰かの。誰か、というか、聞き覚えがありまくるのですぐに分かった。イギリスだ。曰く、フランスの『女王様』。
 そうこうしている間にばたばたと荒々しい足音が聞こえ、声が近くなった。がたがたと音まで響くので、携帯を置いているであろう場所のすぐ傍まで寄ってきたらしい。
『放せっつってんだろこのワイン野郎!』
『だーかーらー、坊ちゃん今放したら帰っちゃうじゃない』
『帰るから放せっつってんだよ! 人が寝てる横で電話してんじゃねえうるさいんだよ!』
『起こしちゃってごめんなー、今切るからちょっと待ってして?その間ずっと触っててやっから』
『うわちょやめっ……!』
『ん、昨日のまだ残ってる。後できれいにしてやるな』
『ばかお前、そん、ぁ、や…!』
『あ、プロイセン? 悪いけどあとで掛け直』
 ブツッ。
 手が勝手に終話ボタンを押していた。というか電源を切った。明らかに自己防衛本能が働いた動きだった。
 プロイセンは携帯を静かに机に置き、テーブルに置いたカップを持ち上げ、自分で入れたコーヒーを一口飲み、また静かにソーサーに戻した。
 そして、一息ため息をついて、
「っっっっっっうぜええええええええええええ!!!!!」
 絶叫した。
「つかキモ!キモすぎる!何だあのクソ甘ったるい声うわマジ鳥肌立った!国が出していい声じゃねえよ殴りてえええ!あーもう当分あいつの面見れねえっつうかむしろ見たくねええええ!!!」
 つうかまっ昼間までベッドん中でいちゃついてんじゃねえよ!!ととどめの罵倒を吐き出して、携帯を引っつかんで投げた。大切な弟からもらったということは頭から吹っ飛んでいる。向かいのソファの背もたれにくぐもった音を立ててぶつかったそれは、座面で一度バウンドして絨毯の上に墜落した。
 吐きそうな程の会話を強制的に聞かされ、状況がこれ以上もないほど理解できるバックミュージック(衣擦れと湿った音)を聞かされたこっちの身にもなって頂きたい。長い縁の友人の知りたくもない部分を無理やり知ってしまった。いや、イギリスを死ぬほど甘ったるく甘やかしているのは知っていたが、聞きたくなかった。すごく気持ちが悪かった。
「やっぱり携帯なんていらねえ…!」
 手に汗までかいていた連絡したことが、今になって全くもって憎らしいほど腹が立つ。
 明日のフルコースはすっぽかしてやることに勝手に決め、プロイセンは疲れた顔を、クッションに深々と埋めて苦々しくうめいた。