【悪友】Durchwahl.

 手の中の携帯電話を見つめて、プロイセンは複雑な心境に陥っていた。
「お、なに、自分ケータイ買うたん?」
 ひょいと背中からスペインに覗き込まれ、落ちかけたため息を慌てて飲み込む。テーブルを囲んでいるというのに、すっかり一人の世界に落ちていた。久々に旧友と会っているというのに、うっかり意識を単独行動させてしまった。一人でいることが多いので、これはもう癖のようなものだ。
 白いテーブル、手入れされた庭、まぶしい太陽。スペインの家の庭である。
「なになに、電話するような相手できたんか」
「ついにお前にも春が来たか?長かったなあ一人身は。相手は男?女?」
 向かいに座り、によによと笑って視線を寄越すのはフランスだ。友人と呼べるものはプロイセンにとってこの二人だけである。いけすかない貴族やフライパンを持った乙女がいるにはいるが、あれを友とは呼ばない。
 プロイセンはそんなんじゃねえよ、とスペインの額を押して遠ざけ、にやつくフランスを軽く睨んだ。
「勘違いすんな。好きで持ってるわけじゃねえよ」
「じゃあどしたん? 今まで持ってへんかったやんか」
「時代遅れにも程があるだろ。公衆電話の履歴が残るのなんてお前から掛かってきた時だけだぞ」
「持たされたんだよ、ヴェストに」
 飲んだめ息は結局吐き出してしまった。席に戻りながらチュロスを齧り、へえ、と首を傾げるスペインと、ビスコッチョを口に運ぶ――流石にテーブルでの手さばきは見事なものだ――フランス。二人分の視線が、プロイセンの手の中に集中した。
 黒い携帯電話。ストラップもついていない。買ったばかりなのが解るつやつやとした液晶と手垢のついていない表面が、難しい顔をしたプロイセンの顔をうっすらと鏡写していた。
「居所がわからなくなるから持てってよ。ったく、ほっとけっつうの」
「へー…」
 膨れて言ったプロイセンに、興味一転、含みのある顔でフランスが笑った。
「かわいい弟分に首輪つけられちゃったの、お前」
「嫌な言い方すんじゃねえよ! 別にこんなもん、電源切ってりゃただの金属の塊だろうが!」
「でも切ってへんのな。プロイセン、素直やないわあ」
「ば、これはたまたま――」
「まあまあ、そう意地張るなって。いいんじゃなーい?愛されててさ」
 愛はいいよ愛は、と、フランスが気取った仕草で手を持ち上げて言った。愛の国を自負しているせいか、ことこの手の話になるとからかっているのか後押ししているのか分からないことを言う。
 むきになって否定するのもみっともなくなり、プロイセンは小さな舌打ちと共に、視線を再び携帯に落とした。
「必要ねえだろ、こんなもん」
「うん?」
「ヴェストの連絡先は覚えてるし、第一週に二、三回は顔合わせてんだぜ?お前らだって俺に連絡するこた滅多にねえだろ。用事があればこっちから掛けるし、外には金払えば使える電話がごろごろしてんだからよ。こんなもん無駄だ」
 こんなものを持っていると、それこそ、首輪をつけられた気分になる。いつでもどこでも監視されて、行動を把握されているようで落ち着かない。一人がいいのだ、一人が楽しいのだ。そうありたいのに、電話など持ち歩いて何になるというのか。それに――と、その先に募る感情は、故意に考えないようにした。
 触れているのもなんだか嫌な気分になった。プロイセンはテーブルに携帯を投げるように置いて、代わりにスペイン手製のビスコッチョに、荒々しい動きでフォークを突き刺した。
 その様子を見た二人は、顔を見合わせ――やれやれ、としか表現できない表情で同時に肩をすくめた。
 何だよ、と上目に睨みつけると、スペインが手を伸ばし、ひょい、と、携帯を奪い取った。ぺちぺちぺち、とボタンを押す。マナーモードになっているのは、恐らくドイツが手渡すときにあらかじめ設定しておいたのだろう。
「ちょ、何だよ、何してんだ!」
 口の中にビスコッチョを詰めたままで手を伸ばしたプロイセンを、これまたスペインは踊るようにさっとよけた。掴みかかられる前に、ほい、と投げてフランスがキャッチ。しょーがないねー、と言いながら、彼もまた慣れた動きで携帯を操作する。そうしてぱちんと閉じて、フォーク片手にこちらに突き刺してきそうなプロイセンに返却した。
「何やってんだよてめえら、勝手に人のもんいじるな!」
「いらんてゆーたやんか。そない目くじら立てんでも」
「使わなくても可愛い弟にもらったもんだもんなー、ごめんなー勝手に触って」
 によによによによ。二人分の笑みが気持ち悪いほどぬるくプロイセンを包む。
 その視線に後ずさりつつ、プロイセンはもう一度、何なんだよ、と、同じことをつぶやいた。
「まあ見てみなさいよ。使い方解るか?」
「馬鹿にすんな。番号押したら通話できるってだけじゃねえか」
「あー、やっぱ知らんねやな。あんな、ここ、押してみ?アドレス登録できんねん」
 底抜けに生ぬるい視線はそのままに、チュロスの先で右上のボタンを指してスペインが言った。気味悪がりつつ、プロイセンは言われたとおりにボタンを押す。
 そこに登録:二件。
 『親分』と『みんなのフランスお兄さん』という、ふざけた登録名が記載されていた。
「うわーお、みんなのアイドルフランスおにーさんのプライベートアドレスゲット!プロイセンってばなんて幸せ者!」
「あ、俺ロマーノといちゃついてる時は無視すんで。もしそうなったら落ち込まんといてな」
 そして、「後でお前のアドレスも教えろよな」と、笑みのままでフランスが付け加えた。
「お前ら…」
 プロイセンは携帯を握り締めたまま、呆然と二人の顔を見た。
 別にこんなことをしてくれなんて言っていない。登録したってどうせ掛けないし、掛かって来ることもないに決まっている。だから――必要ないのに。
 不覚にも、鼻の奥がつんとする。まずい。こいつらにこんな顔見せたら後からどれだけ引っ張られるか解ったものじゃない。ドイツとの統一以来妙に緩くなった涙腺を、プロイセンはぐっと引き締めた。
 何か言うべきか。黙っていたら堪えているのがばれてしまうかもしれない。だが礼など言いたくもなかった。ありがたいとも思っていないのだから礼を言う必要はないはずだ。第一勝手にやったことなんだから、どうだって――そうぐるぐると考えていると、不意にスペインが、羨ましいわあ、と、フランスに向かって同意を求める口調で言った。羨ましい?
「な、何が」
「そーだなー羨ましいよなー。何あの着信履歴。今日の午前中の日付で、おんなじ番号が十分置きに」
「なっ…、え、履歴!?何だそれ!?」
「そそ、よお見たら毎日かかってきてんやんか、どんだけやねんて」
「女王様もあれくらいやってくれたらおにーさん幸せなんだけどな」
「俺もロマーノにあんくらい愛されたいわーかまわれたいわー」
「なあプロイセン、あの番号、ドイツのプライベートだろ? しかも殆ど不在って。出てやれよお前」
「何で分かんだそんなことぉぉぉ!!!」
 甘酸っぱい気持ちが霧散していた。ついでにフォークも吹っ飛んだ。
 あわてて携帯を開き、よく分からないがあちこちのボタンを押し捲るプロイセン。しばらくして表示されたものは、暗記しているドイツの番号が、着信の日時とともに画面いっぱいに羅列されている恥ずかしい記録だった。
 そうだ、今日スペインの家に行くと告げていなかったせいか、ここへ来る前に何度か着信があった。だが状況を把握されるのがなんとなく嫌で放置していた。
 先ほど飲み込んだ思考が勝手によみがえる。確かに、ドイツからの着信は何度もある。顔をあわせた後、自宅に帰ってもたまに掛かって来る。だがそれは当たり障りのないことだけで終了する会話だ。国民のことや周辺国のこと、次に来るときに買ってきて欲しいものを告げられるくらいで、そう、あくまで事務的な。そういうこともあって、この携帯を好きにはなれないと思っていた。
 だが――
「心配で心配で仕方ないんだろ。なあ、オ・ニ・イ・サ・マ?」
「だ、ってお前、こんなんかかってきたって堅い話ばっかで――」
「それだけだったら、こんなに着信が入るわけがないでしょー」
 あれ、ひょっとして俺たち、余計なお世話しちゃった?
 フランスはこれ以上もないほどいやらしい顔をして笑って、硬く握り締められた携帯の表面を、爪でこつこつとつついた。
「二人だけの超プライベート携帯にしたいなら、削除しちまってもいいぞ」
「馬に蹴られたないもんなー。あ、ひょっとしたら、心配すぎて直接ここに来るかもしれんなあ」
「そしたら目の前で犬も食わないなんとやら?」
「いややわあ、もうすぐロマーノ帰ってくんのに。不純なもん見せたないから痴話喧嘩はあっちでやってな」
 そう言って、スペインは庭の向こうの、いかにも!といううっそうとした茂みを指差した。そう、丁度成人男性二人が横になって隠れるには丁度いいくらいの。
「おッ…お前ら…!!」
 一瞬でも、涙ぐんでしまった自分が馬鹿だった。
 震えるこぶしのやり場をスペインとフランスの顔どちらにしようか本気で悩むプロイセンを横目に、着信のランプが静かに点滅していた。