【独普】Hallo! Mein bruder.3日目 それぞれの秘密

独×普人名パラレル・兄弟設定


  ある意味拷問のような時間だった。十二回鳴った時計が日付の変更を伝えた頃、俺は漸くソファから立ち上がることを許された。
  それまでは、ギルベルトに逃げるなと言われ飲み物を取りにいくことすら出来なかったのだ。仮にその抑止がなかったとしても、暢気にコーヒーを飲みながら座っていられるような空間ではなかったが。
  アダルトDVDを三本。立て続けに。
  およそ三時間、画面から気を逸らすことを許されず只管画面を見せられた。女性の裸体を、とっくりと。
  決して兄弟で観るものではない。こういったものは一人で、誰の気配もない場所で目的を持って観るものであり――否、とにかく、複数人で観るものではないのだ。だというのに、この兄は!
「やっぱ縛りはいいよなー。こう、太腿とかにムチっと食い込む感じが!」
  などと言いながら、ギルベルトの機嫌よい声が背後から聞こえた。コーヒーのフィルターを変えながら、腹のうちになんとも形容し難い重たいものが溜まる。 ああそうだ、この怒りとも苛立ちとも違うものは、呆れと疲れだ。フェリシアーノが何かやらかした時にたまに感じるものだ。それより数段重い気がするのは、 ギルベルトが身内だからだろうか。それでも無理に席を立たなかった自分の忍耐力の強さが憎い。
  息を吐き出す。この重たいため息で、腹の感情も吐き出されてしまえばいい。
  ソファに戻ると、ギルベルトがDVDプレーヤーから取り出したディスクをケースに仕舞っているところだった。俺の私物が一枚、もう二枚は追加で持ってき たもので、曰く『とっておき』だったそうだが、その作品に対する評価はノーコメントで居たい。正直なところを言えば、彼の言うとおり自分たちは血の繋がっ た兄弟であると再認識せざるを得ない内容ではあったが、隣に肉親が居てアダルトDVDを閲覧して、どうしろというのだ。
  やや乱暴に、テーブルにギルベルトの分のコーヒーを置く。意にも介さず、白い手がカップを取ってMerciと言う。
  俺はソファに置かれたDVDをちらりと見、それをクッションの下に隠した。目に付くといつまで経っても気分がすっきりしない。
  一人分の隙間を空けて、ソファに腰掛ける。沈黙したままの俺に、ギルベルトはコーヒーを冷ましながら視線を寄越した。
「何だよルッツ、眉間がすげえぞ」
「…誰のせいだと」
「怒んなよ。男同士べつに恥ずかしいこったねえだろ」
「羞恥ではなくモラルの問題だ」
「頭かてえなー。丁寧に説明してやっただろうが」
  そう言うとおり、ギルベルトは『とっておき』上映の際にはここが良いだとかこのアングルがどうとか角度がだとかそういったポイントを、それは楽しそうに 俺に説明した。そうして終わるまで殆ど喋り続けていた。――肉親を肩を並べた沈黙の中、DVDの赤裸々な音声だけが流れるよりはましだったが。
  それでも何も言わない俺を、ギルベルトはまじまじと、頭からつま先まで眺めていた。
  そして一点で、視線が止まった。
  股間のあたりで。
「…なんだ?」
  あからさまな視線に少し引いた。ギルベルトがカップに口をつけ、一口飲み下す。
  左手にカップを、右手は膝の上。その右手がやおら――俺の股間を、わし掴んだ。
「!?」
  咄嗟のことに、全く声が出なかった。先程――否、もう昨日か、DVDを持って来られた時よりも硬直した。
  完全に凍りついた俺を、というか俺の股間を、ギルベルト妙な無表情で好き放題に触っていた。断じていかがわしい動きではなく、何かを確かめるような動きで、数回。
  一分も無かっただろう。俺には随分と長く感じた。ギルベルトはカップを置き、
「お前、筆下ろしまだだっけ?」
  と、世間話をするような顔で問いかけて、手を放した。
  同時に、俺も爆発した。
「いってぇ!お前なんかさっきから凶暴だぞ!!」
  ゴッ、と重い音がして、ギルベルトが頭を押さえていた。兄を叩くのは二回目だ。しかも今回は拳で脳天を一発。
  その拳を握り締めたまま、俺は深夜という時間も忘れて怒鳴った。
「ふざけるな!兄弟でもやっていいことと悪いことがあるだろう!!」
「その反応からすると図星だな?だからって殴るんじゃねえよお前力強いんだよ!」
「殴られるようなことをするお前が悪い!」
「ああ!?ちょっと触っただけじゃねえかケチケチすんな童貞!!」
  と言われて、不覚にも、否定をするのを忘れた。
  確かに、女性経験は、ない。男性として正しい興味と発散の為に、そういった本やDVDを鑑賞することはあるが、実際の経験は皆無だ。女性としかるべき付 き合いをするという、そういうものはどうにも敬遠する。そのことを特に気にしているだとか負い目を感じているということはないが、誰にもそのことを話して も居ないしましてや相談などもしない。しかし、この手のことを真正面から言われると、男性として否定された気になるのは何故なのだろうか。
  言葉に詰まった俺を見て、ギルベルトはは、と口をつぐんだ。気まずい沈黙が流れる。
「あー…」
  決まりの悪い声を漏らして、兄は頭を掻いた。売り言葉に買い言葉、だが、言い過ぎたと思ったのだろう。
  やがて小さな声で、悪かった、と呟いた。
「…いや、俺もやり過ぎた。すまない」
「いや、なんつうかな、立派なもん持ってんのに勿体ねえなとか思ったらつい」
「…余計なことを言うな」
  不穏になりかけた空気を、コーヒーの香りのため息で払う。随分冷めてしまったそれは妙に味が薄いように感じた。
  またしても、しばらくの沈黙。嚥下の音が三度ほど。
  原因を作った責任を感じたのか、ギルベルトが再度、口を開いた。
「お前、彼女とかいねえの?」
  これを逃すとまた沈黙が降りるだろう。俺は努めて平静な声で、嫌味にも皮肉にもならないよう声を落ち着けて答える。
「そういった相手がいれば、先程のように言葉に詰まったりはしない」
「だよな。ほんと勿体ねえ。俺が女だったらほっとかねえのに」
「股間で人を選ぶような女性とは付き合えないな」
「そうじゃねえよ。お前、男前だからな」
  言って、ギルベルトはにいと笑った。先程の口論の気まずさが少しばかり解けた顔で、口元を持ち上げている。
  見たことも無い笑みだった。どこか胸をちくりと刺すような。
  なんと答えるべきか分からない俺を見て、ギルベルトはその笑みをいつもの意地の悪いものに変えた。手を伸ばし俺の髪をぐしゃぐしゃと掻く。乱れた前髪の向こうで紫の瞳がこちらを見ている。
  自然と、口が開いていた。
「…お前こそ、恋人はいないのか?」
  その問いかけに、彼はすうと瞳を細めた。そして、
「…秘密」
  紫の瞳で俺だけをまっすぐ見つめながら、かすれた声で、あいまいに答える。
  暴かれてしまった俺の事実と裏腹に、兄の謎は何一つ解かれないまま、奇妙な同居は三日目を迎えていた。