【独普】Hallo! Mein bruder.4日目 芽生える感情

独×普人名パラレル・兄弟設定


「ルートヴィヒ、どうしたの?元気ないよ?」
  フェリシアーノにそう言われ、はっと顔を上げた。目の前に不思議そうな顔をした異国の友人が二人、こちらを覗き込んでいる。
  もう一度視線を落とすと、目の前には手をつけられないまま冷めたコーヒーがもの寂しくテーブルに乗っていた。
  今がどこで何をしていたのか、一瞬忘れていた。ここは日当たりのよいオープンカフェで、友人――フェリシアーノとキクと、他愛もない雑談をしていたのだった。
「ひょっとして、どこかお加減が悪くていらっしゃるのですか?」
  俺の顔を見て、キクが丁寧な口調でそんなことを言う。ということは、具合が悪いように見えるのか。
  キクの言葉にフェリシアーノが、えええ具合悪いの大丈夫!?と大げさに叫んで眉を思い切り下げる。愛すべき友人たち、二人分の瞳にじっと見つめられ、俺は場を取り繕うようにコーヒーを持ち上げた。
「いや、少しぼうっとしていただけだ。すまないな」
「ほんと?だいじょぶ?無理しなくていいんだよ?」
  まだ眉を下げているフェリシアーノが、心配げに首を傾げた。彼の言動や行動はイタリア人特有の陽気さが目立つが、心根は優しい。思っていることがそのまま顔に出るので、本気で俺を慮ってくれているのだろう。ありがたいと思うが、少し申し訳ない。
  何を考えていたのかといえば――兄のことだったからだ。
  昨晩の騒がしい顛末と気まずい就寝の挨拶。その時の空気は、互いに殴り合ってしまった後の何ともいえない違和感を引き摺っていた。ギルベルトは笑顔だったし、俺もおかしな態度を取っていなかった、と思う。けれどどこかぎこちなかった。互いに。
  ベッドに入っても目は冴えていた。思い出してしまう。遡って、ギルベルトがここへ来た一日目のことから――ああ、もう四日も経過しているというのに、未だにこんなことではどうするのだ。折角、数年ぶりに再会したというのに。
  ビートルを駆って突然現れた時の笑み。俺の部屋から勝手にDVDを引っ張り出してきた時の悪戯めいた目。恋人はいるのかと問うた時の曖昧な反応――そして、一番の問題なのが、手、の。
(手の感触が、)
  抜けない。
  それがいっとう困る問題だった。ギルベルトはふざけて俺の股間をわし掴んで来た、それだけだ。男同士の、品のよくない冗句だ。それは解っている。解っていても、他人に触れられたこともない場所だったのは確かだった。
  無論そこに快楽を感じ取ったとか、そういったおかしなことでは全くない。反応した訳でもないし、もししたところでそれは男にとって当たり前の肉体反射だ と笑えただろう。頭を悩ませているのは、ジーンズ越しだったというのに鮮明に残る兄の体温――記憶よりもずっと冷たい温度が、ただ単純に忘れられない、と いうことだ。
  理由はわからない。わからないものは、苦手だ。理論と証明をもってして全ての物事を片付けておきたい。頭の中に浮かぶ感情や感覚は、脳の各箇所にきちん とそれぞれの収納場所があるはずなのだ。今もてあましているこの不確定要素は、行き場がなく俺の頭の真ん中でずっと立ち往生している。
  手。温度。曖昧な言葉。空白の時間。俺の知らないギルベルトを垣間見てから、どうにも調子が良くない。
  友人との会話さえ、右耳から左耳へ、通り抜けてしまうほどに。
「…重症のようですね」
  キクが苦笑いのようなものを浮かべて俺を見、そこで、またしても思考の海へ沈んでいたことに気づく。
  フェリシアーノは依然心配顔だ。元気ないならこれ食べる?と、食べかけのEisbecherを差し出してくる。気持ちは嬉しいが、恐らく甘味でどうにかできる頭の疲れではなさそうだ。
「すまんな、先ほどから…」
「いいえ、かまいませんが…何か、お悩みでも?」
  柔和な表情で、キクは柔らかく質問を投げて寄越した。日本人は人に気を使いすぎると思うのだが、キクはその典型だ。聞き上手、と言ってもいい。
  悩み。これを悩みと呼ぶべきだろうか。話すほどのことでもないし話せる内容でもないと思う。自分でもこの不安定な思考が何なのか解っていないと言うのに、相談など出来はしない。黙る俺に、キクは無理にはお伺いしませんが、と口元を綻ばせて笑った。
「人に話すには些かし辛いお悩みのようですし…」
「な、何故解った?」
「お顔を見ていれば解ります。ねえ、フェリシアーノ君」
  促され、しかしフェリシアーノは小動物のように首を傾げた。いや、多分こいつには解らないと思う。
  しかし、彼はくるくると良く動く瞳で俺をまっすぐ見つめ――やがて、ぱっ、と晴れた顔をして「そっかあ!」などと声を上げた。何だというのだ、俺はフェリシアーノにも解るほど何かを思いつめた顔をしているのか?
「そっかそっかあ、わかったよー!そりゃあ落ち込んだ顔もするよね!」
  そして先ほどから一転、フェリシアーノは元気の良い顔で席を移動し俺の隣に腰掛ける。
  彼らは何がわかったというんだ?俺のこのどうしようもない名前もつかない塊がなんだか、顔を見ただけで解ったというのだろうか?だとしたら教えて欲しい、これは一体何なんだ!?
「…二人とも、その、だな」
「恥ずかしがらなくていいんだよ!そういうのは悩むより口に出しちゃった方がいいと思うよ!」
「うむ?いや、お前何を言って」
「欧米の方のそういった事情は解りかねますが、お心苦しいのでしたら、吐き出した方が楽になるやもしれませんよ」
「そうではなくてだな、その――」
  当事者である俺を置いて、二人はすっかりと全てを理解した様子だった。困惑した俺を見て、キクが首を傾げる。食い違いを察してくれるのが早いのが助かる。さすがは日本人だった。すぐにしまったという顔をして、彼はすみません、と口を押さえる。
  だがフェリシアーノは俺の肩をばんばんと叩きながら、言葉を止めなかった。
「好きな人がいるなら、好きって伝えればいいんだよ!」
  ……は?
  硬直した俺を見て、キクがあああとよく解らない声を漏らして手を上下させていた。フェリシアーノを止めたかったらしい。いや、それはいい。というか彼は今なんと、好き?それは俺の話をしているのか?
  しばしの沈黙。あのフェリシアーノですら感じ取れるような、微妙な空気が当たりに満ちた。他のテーブルの客の談笑、通り向こうの車の音、陽気な音楽。ここにはそれらが滑り込む余地は全くない。
「え、えーと…あれ?」
「フェリシアーノ君…」
  弱った声でキクが呼ぶと、フェリシアーノは俺とキクの顔を交互に何度も眺め、そして、小さくなってごめんなさい、と呟いた。謝られても、というか、謝るようなことではなくて、いや、なんだ。何なんだこれは。
  俺はギルベルトのことで悩んでいたはずだ。なのに何故彼らは色恋の話だと思い込んでいるんだ。俺が――そんな顔を、一目でそうと思われるような顔を、していたというのか?
  兄のことを――考えていたというのに。
「…キク」
「は、はい?」
「俺は、その、そんな顔を、していたか?」
  ぎこちなく問いかけると、キクは少し困った顔をして言い淀んだ後、JaでもNeinではなく、すみません、と答えた。
「その…そうとしか思えない顔をしていらしたように見受けられたので。大変失礼しました」
  そう言って彼は深く頭を下げる。
  そうとしか思えない顔――とは、何だ。それは恋煩いをしている顔だった、と、そういうことなのか?
  フェリシアーノが遠慮がちに、俺の袖をくいくいと引っ張っていた。視線を向けると、子犬のような瞳が俺を見上げていた。
「ご、ごめんね?よくわかんないけど、ごめんね?」
「ああ、いや…」
「でもね、本当、恋してるなら、好きな人がいるなら、ちゃんと言ったほうが良いよ」
「フェリシアーノ君!!」
  ああもう!と言いながら、キクが再び両手をあわあわと振る。俺はぼんやりと、その様子を眺めていた。
  頭の中で置き場所のないものが、今までずっと空白だった場所を埋めたような気がした。すとん、と、それはもう自然と。違和すら感じさせないほどしっくりと。
  手の感触――温度――曖昧な言葉――忘れられない、頭の中は兄のことで一杯になっている。
  恋。
  ギルベルト。
(まさか、)
  俺が――そんな、まさか。