01 パッシブ・スタンダード【!】

事後の気だるさを引きずった声。の、小さなぼやき。
「マンネリしてる気がする」
  聞かせるつもりがあるのかないのか、明瞭としないその声はバクラの耳にきっちり届いた。
  質量のあるようでないような不安定な闇色に腹ばいになっていた地獄耳の持ち主が、姿勢はそのまま、びきりとこめかみを引きつらせる。傍らで丸まっている獏良の目は半分開いていていかにも眠たそうだ。うろんな意識でうっかり本音を吐いてしまった、そんな様子が見て取れる。
  伸ばした手でぐいと髪を掴んで引っ張ると、ううと唇から唸り声が漏れた。
「言うようになったじゃねえか、マグロが贅沢言うんじゃねえよ」
「いたい、放して」
「その前にゴメンナサイだろうが」
「だって本当のことだもん、嘘じゃないよ」
  ちょっとつまんないよ、と、ぐいぐい頭をひっぱられながら獏良は言った。
  曰くつまんないと評されるセックスの手順を、バクラは考えてみる。心の部屋になだれ込んでマウントポジションを奪って服を剥いで噛み付いて跡を残して押し開いて挿入して抜き挿して射精。基本的なパターンはそれで、たまに薄い羞恥心を詰ってやったり後ろからしてみたり。いずれにしてもイニシアチブをとっているのはバクラの方で、宿主サマは常時マグロ運転である。愛撫と呼ぶにはいささか手荒い掌と歯列の洗礼を受けて徐々に息を荒げ、最終的には高い声を上げて果てる。それだけ。
  晴れて共犯関係を結んでしばし経った。契約直後はそれでも不安定さが残っていたのか、心もとなそうな表情を浮かべたり仲間への裏切り行為の継続にときたま揺らいだりしていたけれど、最近はそれも減った。とするとこれは慣れが生んだ暴言であろう。なるほど、人間とは順応性の高い生き物だと一人実感する。
  そんなことを考えているうちに、引っ張り上げていた手は緩んで、指に絡まる髪をじくじくとこよりにして遊んでいた。はっとして手を放す。不思議そうな顔で、獏良はバクラを見た。
「何してるの」
「何でもねえよ。…で、マンネリがどうしたって?」
  身体が勝手にとった行為を誤魔化すために、苦肉の策で腹の立つ暴言の方に誘導してやる。あっさり釣れた綺麗な形の唇が、ああそう、そうだよ、と二度ほど小さく頷いた。
「おんなじこと繰り返してる気がするんだよね」
  ほう、と、物憂げな溜息まで吐かれて、再びこめかみがひきつる。
「ボク、セックスのあれこれとかよく知らないけどさ。そういうもんなの?」
「そう思うんならてめえで何とかしろよ。乗るとか咥えるとかあんだろ」
「えー、めんどくさいよ」
  反射でつい「オレ様だってめんどくせえ」と言おうとして、それは流石に飲み込むバクラだ。
  売り言葉に買い言葉をやらかせば、じゃあほんとにしないよとか言い出しかねない。それは御免被る――と思ってしまう時点で、全く執着しているのはどちらやら、である。
  切っても切れないのではなく切るつもりは毛頭ない、運命の宿主サマ。タイムリミットのある関係だからこそ、稀にこうして戯れても問題なかろう。今のところはそんな判断で、こうして身体を交わしている。そんな益体もないことを考えている傍らで、ああ上に乗ってもらうのは悪くないかもしれないなどと考えている自分も居た。脚を開いて跨って、白い髪を振り乱して腰を上下に揺らす姿を下から眺める妄想のビジョン。悪くない。
  その考えはそのまま動きに現れた。腹ばいになった姿勢から反転。その途中でだらりと垂れた獏良の腕を掴んで引っ張り上げる。一戦終えた後の脱力した身体は、なんとも不恰好にバクラの上に乗り上がった。
「上に乗りな、宿主サマ」
「だから、めんどくさいって」
「悪いようにはしねえよ。大体、一回して事足りるカラダじゃねえだろ」
  言いながら、両腕を器用に扱って、先ほどの妄想の形へと引き上げる。見た目に反して欲深い獏良は、淡白な時とそうでない時の落差が激しい。マンネリがどうとか言い出した次点でまだまだ物足りないのだろう、という判断は間違っていなかったようだ。腰をぬるりと撫で上げてやると、割かし従順に肌が震え上がる。
  悪いようにはしないという言葉をそのまま信じてしまうあたり、成長しない。誘導されるまま、いつもと逆の体勢でバクラを見下ろす獏良の、裸の尻がぺたりとへその下にくっついた。
「いつもと違うことするんだ?」
  気だるさと期待の入り混じる目で首を傾げる仕草に、不覚にもぐっとくる。が、それは表情に出さずにバクラは「まあ、そうなるな」と返してやった。受動態の塊のくせにつまらないとか退屈とかが嫌いらしい獏良は、少しだけ口元を持ち上げて、笑う。
  その顔を眺めながら、馬鹿な宿主サマ、と腹の内でバクラも笑った。掴めば骨が当たる細い腰をさすり、肌と肌の合わせ目、具合のいい箇所を探す。下肢の位置を少しばかり下方修正させ、お互い萎えたままの性器が重なるように調整。生乾きの精液が温度を伝達した。
「ん、」
  ひくんと獏良の喉が軽く反る。事後の敏感さは扱いやすいので嫌いじゃない。
「ひょっとして、こうやってぬるぬる擦るのがいつもと違うこと?」
「違え。勃てなきゃできねえだろ」
「普通にお前が自分の手ですれば早くない?」
「その間いい子で待ってられるってならそうしてやるよ」
  できねえだろ、と、骨の浮いた膝をじわり撫でる。唇を尖らせて黙るのを見て、図星を突けたと口元を歪めて笑ってやった。
  無駄口は一時停止して、ずりあがるような動きで生温い愛撫を開始する。バクラの胸元あたりに手をついた獏良が、長い髪を揺らせて震えた。
「ん、んん、」
  閉じた口から漏れる音は、官能というよりじれったさを多分に含んでいるようだ。本人曰くめんどうくさいらしいので、積極的に獏良は動かなかった。反射で腰がひくひく揺れる程度で、手や口でするような鋭い快感は望めない。不服が眉に表れて、きゅっと寄せられている。
  その焦燥感こそが目的なのだと、宿主サマは気付かない。バクラもまた短時間で硬度を高めることは出来ないが、お互い様だ。むずむずといらいらとする時間が、しばらく続く。意図してやっている分、こちらは余裕だ。目の前にちらつく乳首が目の毒だがここをいじってやると悪戯に喜ばせるだけなので、してやらない。
「ぅー…」
  時間の経過が体内時計しかない空間で、よほど長く感じるのか獏良が切なげなうなり声を上げた。
  緩やかだが確実に、身体の奥は高ぶってきている。薄く伏せた瞼の向こうの、硝子球みたいな目玉が潤んで、無意識に縋る目でバクラを見ていた。不満、期待、戸惑い、そんなものが綯い交ぜになって涙腺を緩ませているようだ。
「…ね、まだ?」
  尖る唇が濡れている。じれったいのなら自分でどうにかすればいいのに、筋金入りの受動態は気持ちよくされることしか念頭にないらしい。まあ想定内、これから強制的に能動態へとスイッチさせてやるつもりなのだけれど。
  見たいのは己の下でされるがままに乱れる姿ではない。先ほどちらりと妄想した、上に跨り腰を振る獏良了である。マンネリ化したなどど失礼なことを呟く宿主サマへの報復と共に欲求不満も解消してやり、なおかつバクラ自身も楽しめる一石三鳥の方法。目指しているのはそれだ。
  そのための緩慢な擦りあいは、タイミングが重要である。長く焦らしすぎればもういいこれやだつまんないなどと言い出すし、早く切り上げれば焦燥感が足りなくなる。絶妙なる機を狙って、互いにぬるぬると腰を擦り合って――二度目にまだ、と聞かれた時に、バクラはぐっと、その細い腰に指を食い込ませた。