【独普】おやすみの前にBefragen.

 ああ疲れているな、と夕食を終えた頃から思っていたが、ソファで居眠りをしているのを見るのは珍しいことだった。
「おーい、ヴェスト?」
 プロイセンが呼びかけても目を覚まさないほどの熟睡なんてものは、もしかしたら幼少時以来の出来事だったかもしれない。
 背もたれに体重を預けきり、腕を組んだまま固まっているドイツに、プロイセンはおい、と再度呼びかける。泊まっていいかと確認するつもりもなく、この家で宛がわれた自室へ引き上げようと思っていた矢先のことだ。
 手にした雑誌を向かいのソファに放り、プロイセンは足音を潜めもせずに、眠るドイツに歩み取った。
「寝てんのか?」
 問いかけても、返事は無い。
 随分と難しい顔をして、彼の弟分は時計の針が十二を向かえる前に眠りの淵へ旅立っていた。
「…めっずらし」
 はさはさ、と、ドイツの目の前で手を二、三回振ってから、プロイセンは呟いた。
 いつもなら、自分がソファでだらだらとしているとやれ寝るなら部屋に行けだのベッドで眠れだのとやかましく注意するドイツが、シャワーも浴びずに居間で眠りこけているのだ。固めた前髪がほつれて少し髪が乱れているが、眉間の皺はそのまま。読んでいた新聞も膝に広げっぱなしである。
 ふうん、と唸って、兄はその姿をまじまじと眺めた。
 自由人のプロイセンと違い、ドイツ連邦共和国は仕事三昧。朝早く出掛けて行き遅く帰ってくるのが常だが、最近は半ば同居人たるプロイセンという存在があるからなのか、夕食前に帰ってくる努力をしているようだ。忙しいなら一人外で済ませても良いのだが、ドイツは手作りの食事を偏食の兄に食べさせることを日常の一部としているらしい。
 言われれば皿洗いくらいするものを、気づいたら片付けは終わっている。そんな毎日。
 そりゃあ疲れるよなという呟きは、時計の音響く静かな部屋にぽつんと落ちた。
「――よし」
 ここはひとつ、疲労困憊の国を癒してやろう。
 そう思いまず、膝に広げられた新聞を拾い上げた。ここで、眠る相手に気を使い静かに折る、などという気遣いは彼には無い。ばさばさと紙を畳み、ぽいと捨てるとやはりやかましく音を立てた。
 く、とドイツの眉間の皺が一瞬増えたが、無視。
 続いて、三人掛けのソファの右端に座るドイツのかたわらに、プロイセンは腰を下ろした。
 そして、よっ、と声ひとつ、両手を幅広い肩に掛けて、自分の膝上に引き倒した。
「ぅお重っ」
 ずんと膝にのしかかる重圧に思わず声が漏れた。所謂膝枕、というものだが、こんな図体のでかい男にやるものではなかったかもしれない。
 けれど掴んだ肩は鍛えられた筋肉以外の硬さ――凝りや緊張――が感じられたし、座ったまま眠るよりこちらのほうがいいと思ったのだ。かわいい弟分になら、このくらいしてやってもかまわない。通常なら引き倒された時点で目覚めるであろうドイツは、固く瞳を閉じたまま反応がなかった。
「おお、よく寝てやがる」
 おつかれさーんと吐くねぎらいの言葉は、ヘリウムより軽かった。
 そうして見下ろす寝顔は、相変わらず難しい表情をしている。試しに眉間をぐりぐりと指で押してみた。左右に伸ばしてみるが、離すと戻る。もう一生これはこのままかもしれない。
 しかしそんな顔が、誰よりもいとおしく感じた。
「かわいい顔しやがって、このやろう」
 ぽつりと漏れた呟きが妙に温くて、居心地悪くプロイセンは頬を掻いた。
 こんなことをしてやろうと思うのも、ドイツにだけだ。女にだってしたくなはい。いや、この場合はされる方か。固めた髪を乱してぐしゃぐしゃと撫でる。それから、自分がいつか転寝をした時にされたことを思い出して、それに倣い、らしくもなく優しく髪を梳いた。こうされるとすごく気持ちが良かったのだ。無骨なくせに精一杯丁寧に撫でようとする動きが不器用で、それが愛しかった。
 思い出して少し笑うと、ドイツの瞼が一瞬、ぴく、と動いた。
「…お?」
 眼球運動が始まったのかと思い、プロイセンがドイツの顔を覗き込む。
 熟睡すると、眼球は閉じた瞼の向こうでぐるぐると動くらしい。人の寝顔を注視などしたことがないので、どこからか蓄えた知識だが、その類のものだろうか。だとしたら随分とよく眠っている。
 じっと見ていると、また。今度はびくびく、と大きく。そして顔が僅かに向こうを向く。
 ははあ、と思い、プロイセンは音もなくにやりと笑った。
「ヴェースト」
 意図してからかった声音で呼んで見ると、居心地が悪そうに頭はさらに向こうを向いた。耳がこちらに晒される。その耳が随分と赤くなっていることに彼は気づいているだろうか。いや、毛細血管の制御など出来やしない。全く、身体というのは随分と雄弁だ。
 おかしくておかしくて、けれど声に出ないように必死で笑いを押し殺す。どうしても腹筋が痙攣してしまうので、きっとばれてしまっているだろう。互いに。
 だが、これ以上声を殺すと窒息してしまう。プロイセンはすい、と身をかがめて、無防備に晒された耳に細く息を吹きかけた。
「っ!!?」
「はははははは起きた!お前の負けだヴェスト!」
 思い切り飛び起きたドイツを指差して、プロイセンは笑った。
「寝たふりヘタすぎだぜー!」
「お前がおかしなことをするからだろう!」
「かわいい弟分をかわいがって何が悪ぃんだよ?ほれ、いいから戻れ。お兄様がなしなししてやろう」
「いらん!」
 顔を真っ赤にして拳を作るドイツだが、その拳をどこに持っていっていいか解らず結局ソファに沈んだ。
 悔しいというより羞恥で口を一文字にむっつりと結んだ彼へ、プロイセンはまだくつくつと笑っている。目から涙まで滲んできた。
 本当におかしいといったらない。図体はこんなにでかいというのに。自分よりも体格のいい男が顔を赤くしているのを見て可愛いと思うだなんて。そして、こんな他愛の無い時間が妙に嬉しいだなんて。
 一人分の空白をあけてソファに座り直したドイツは、額を手で押さえて何とも言いがたい顔をしている。あと数秒ほどこの状態を継続すれば、さっさと部屋へ退散してしまうかもしれない、とプロイセンは見た。
 そうはいかない逃がさない。まだまだ聞きたいこととしてやりたいことがたくさんあるのだ。
 あけられた空白へ膝を突き、行儀悪く膝立ちになって、まだ赤い耳を今度は噛んでやる。びくりと跳ね上がる肩をがっちりと捕らえて、捕虜を捕獲。これより尋問を開始する。
 にい、と唇をまげて、煮詰めたように底抜けに甘く、
「――で、いつから起きてたんだ、ヴェスト?」