【独普】Prosit!!

「しかし馬鹿だな、お前も」
 無理に決まってんじゃねえか。
 とプロイセンは笑い、決まり悪げなドイツの手の中、巨大なジョッキに自分のジョッキをこん、とぶつけて見せた。
「Bierは俺たちの動力源だぜ?飲まなきゃ身体が錆び付いちまう」
「…今回に関しては、反論は無いが」
 がやがやとした複数の人間の喋る声に、ドイツの声は紛れてしまう。
 日本に付き合い極めて健康的な食生活を心がけてみたものの、イタリアのもっともな意見により、ドイツの禁酒生活は終了した。祝杯だとプロイセンはドイツを気心の知れたバーに誘ったが、果たしてこれは祝うべきことなのかどうなのか。喉に通す酒の心地よさは、しかし、達成できなかった尻切れの後味の悪さを流してはくれない。
 そんな弟分を、プロイセンは少しばかりむっとした目でもって睨みつけた。
「何だ、お兄様の酒が飲めねえのか?」
「そんなことは、ないが」
「辛気臭ぇツラしてんじゃねえよ。奢りの酒ほど美味いもんなんかこの世にねえぞ」
「ああ…」
 解ってはいるが、どうにも手が進まない。
 プロイセンがジョッキを三つ空けているというのに、ドイツの手にはまだ半分ほど、黄金色の液体が泡を失い取り残されている。いつもならいくら胃に流し込んでも問題ないというのに。どうもここ数日の禁酒で、身体は酒を少しばかり忘れているようだ。Bierは血肉の源に等しいけれど、水そのもののように、肉体を維持する必須成分という訳ではない。
 酒から逃れ、プロイセンによってテーブルの片隅に追いやれたSalamiの皿に手を伸ばすと、甲をフォークで叩かれた。
「飲まない奴につまみを食う資格はねえ」
 むっとした、を通り越して不機嫌になった紫の瞳を、ドイツは困惑しつつ見つめた。
 ――そういえば、禁酒のことをイタリアに話したのはプロイセンだったという。兄は何故、そんなことをイタリアに伝えたのだろう。禁酒を始めて少ししたある日に、理由も話さず酒を断ったことはあったが、それが原因だろうか。
 思えば、酒を断った時のプロイセンは随分と寂しげな顔をしていたように思う。ドイツの頭の中はとにかく忍耐の二文字で占められていた為、あまり意識はしていなかった。だが兄の酒を断ったのは、こうして共に過ごすようになってから初めてだったのではないか。
 イタリアはプロイセンを少しばかり恐がっている。本人はイタリアのことが可愛くて仕方が無いようなのだが、その思いはなかなか伝わらない。そんなイタリアがプロイセンの話を聞いた上で、ドイツと日本の過剰な健康志向を止めたのだから、彼は一体どんな風に、ことの顛末を話したのだろう。
 口を尖らせているプロイセンから一度視線を外し、もう一度見る。
 ドイツはジョッキから手を離し、姿勢を正して兄を呼んだ。
「…なあ、兄さん」
「あんだよ」
「その、すまない。心配…を、かけたようだ」
 唐突に、禁酒など始めて。
 そう呟くと、プロイセンは暗がりに彩度を落とした瞳を瞬かせて、じっとドイツを見つめ直した。
 その時間は五秒にも満たない。く、と、音を立てて、彼は笑った。
「ばーか。別に心配なんかしてねえよ」
「し、しかし」
 なおも言い募るドイツを、プロイセンは手元のフォークをぴっと突きつけて黙らせる。
「お前がBierをやめられる訳ねえからな。まあ、長いこと続くとお前んちで飲むのが楽しくなくなりそうだって、そんな話はイタリアちゃんにしたけどよ」
「楽しく、とは」
「一人で飲むのはつまんねえ。お前が目の前でしかめっ面して我慢してるのは可愛いけどな。美味くない」
 サディストは兄弟共通であることを再認識する言葉を口にして、そこでプロイセンはフォークを置いた。自分のジョッキを掴み、白い喉を見せ付けるようにしてごくごくと飲み干してみせる。
 その勢いの良い、さも美味そうな仕草にドイツの喉もまたごくりと鳴った。反射だった。
 見て取って、紫の瞳はなおも笑う。
「イタリアちゃんの説得が効かなかったら、実力行使に出るとこだったんだぜ」
「実力行使?」
「そうだ。お前が我慢をやめたくなるような、実力行使」
「…何をする気だったんだ」
 ドイツがいやな予感に低い声で尋ねると、プロイセンは唇の端を少し持ち上げて、まずは、と指を立てた。
「お前の書斎に美味い酒――BierでもWeinでもWodkaでもなんでもいい。空き瓶を並べる」
「……」
「当然お前は飲みたくてたまらなくなる。我慢しようが鼻をくすぐる香りは有無を言わさずお前の神経を撫でる。耐え切れず部屋を出たら、廊下にも風呂場にも瓶が並んでる」
「…その瓶は何処から調達してくる気だったんだ」
「俺が飲むに決まってんだろ。んで、逃げるお前は居間に辿り着く。すると、愛しのお兄様がBierの栓を開けている」
 にや、と、瞳が笑う。ドイツは思わず、視線を外した。
「そこで酒を勧められたら、お前は断れるか?」
「…衝動に流されないよう鍛錬している」
「俺が口移ししてやるっつっても?」
 言葉は、急に囁きに代わっていた。目を逸らしているうちに、プロイセンの顔はドイツの鼻先まで近づいていた。
 ぎょっとしたドイツの目の前で、白い頬が少し上気していた。空けたジョッキの分だけ摂取したアルコールが白い肌を内側から染めて、自然、視線は唇へと落ちた。
 まるでどこを見られているのかを理解しきった動きで、絶妙なタイミングで、赤い舌が唇を舐める。
「に、兄さ」
「お前をソファに座らせて、その上に跨ったお兄様が、特別美味いBierを特別な杯でもって更に極上に仕立て上げたとっておきを飲ませてやるっつっても、お前は我慢できるか?」
 言葉のままに頭は空想する。見慣れた室内、色とりどりの空瓶があちこちに転がっている、まるで倒錯的な空間。戸惑う自分をプロイセンがソファに押しやり、膝に乗りあがり、先ほどのように喉を反らせてBierを含んでいる。
 近づいた鼻先で酒と、彼の体臭が混じったいい匂いが漂って、近づいて、重なれば、渇きを癒す黄金の水と唇の感触――
「――ほら、我慢できねえだろ」
 言葉と共に、唇に、ものすごく冷たいものが押し付けられた。
「!!?」
 それは、期待していた極上の口杯の感触、ではなかった。冷たく硬質で、分厚い――ガラスの。
 ジョッキの縁と接吻しながら、ドイツははっとして、妄想の世界から浮上した。
 いつの間に注文したのだろう。犯人は、ドイツに押し付けたものと同じ、なみなみと中身の注がれた新しいジョッキを手ににんまりと笑って見せた。
「ま、そんなことしなくても解決したから、苦労しなくてよかったぜ」
「……」
「はっはー、そんな可愛い顔すんなって。興奮しちまうだろ?」
 そう言って、軽くジョッキを掲げてみせる。殆ど惰性で、ドイツは押し付けられていたジョッキを掴んで支えた。
 急に、喉が渇いてきたような気がした。掌になじむ分厚いガラス。はじける黄金色、雲のような白い泡。その向こうで、したり顔をした兄が笑っている。
 なるほど、確かに我慢できなかっただろう。面倒くさがりの兄にそこまでされたら。そして、愛しい者の唇が目の前にあれば。けれどその杯を受けられるなら、もう少し、そう、イタリアの説得に折れずにもう数日、耐えてみても良かったかもしれない。
 そんなことをぼんやりと思っていると、おい、と、楽しげな声が掛けられた。
「で。酒の素晴らしさをようく理解したんなら、まずやることがあるんじゃねえか?」
 手の中のそれを目で指して、そんな風にせっつかれる。その声に、ドイツは久々に、気の抜けたような顔をして笑って見せた。
 プロイセンの手の先、掲げられたジョッキに倣う。
「…では、改めて」
 やり残していたことがある。酒を楽しむために必要不可欠なこと――そう言うと、紫の瞳は嬉しそうに細められた。
 そして、身体になじんだろくでなしの愛飲家たちの喧騒の中、兄は声高に言うのだ。
「――我ら兄弟の生命の水に、乾杯!」