【独普】食卓の境界線

「似てねえよな、俺たち」
 空になったビールの缶を放り捨てて、プロイセンは出し抜けにそんなことを呟いた。
「似てたまるか、お前は無神経すぎる」
「ああ、そういうお堅いお返事するとこも似てねえ。俺ならもうちょっとウィットに富んだ切り返しをするね」
 捨てた缶は誰が拾うのか。無論ドイツしかいない。散らかした端から片付けたい衝動に駆られるが、それよりもすべて散らかしきった後にまとめて片付けた方が効率がいい。そう思っている内に、ヴルストを齧った肉汁がテーブルに散る。これも後で拭いた方がいい。
 無意識にため息をつくと、プロイセンが唇の端を持ち上げて笑った。
「そういやな顔すんなよ、兄弟」
「なら缶を投げるな。汁を飛ばすな。テーブルに肘を突くな。行儀の悪い」
「お前の煮たヴルストが美味いんでつい」
「つい、何だ。不味ければ散らかさないというなら冷えて歯ごたえの無い肉を食卓に並べてやるが」
「いやーん。肉は熱くて硬い方が好みだわ、上下どっちの口で食うのも」
「…下品だ」
「そりゃどうも」
 ははは、と響く笑いはいつもどおり耳障りなそれ。自信と自尊心に満ち溢れた。
 ほろ酔いを通り越して耳まで赤くしたプロイセンを横目に、ドイツは冷蔵庫から冷えたビールを取り出して缶を開けた。炭酸が弾ける音と小さな飛沫に少し気を良くし、喉を鳴らして二口ほど飲み下す。
 その様子をにやにやと笑いながら眺めていたプロイセンが、あー、やっぱ似てねえ、と同じ言葉を繰り返し言った。
「何がだ」
「全部だよ、たとえば、髪」
 すい、と手を挙げて伸ばした指先に、金色の髪が絡む。しっかりと固められた前髪を少し崩し、プロイセンは唇の端を上げた。
「色が違う。俺の髪は月と見紛う冷えた銀色で、たっぷり日を浴びて育ったのんきな麦みてえな金じゃねえ」
 次に、と、触れる額。指が滑る。
「肌。の、感触が違う。なんかお前こう、ムキっとして中身が詰まってる感じがする。結構しっとりしてんのは汗か。代謝がいいんだろうな。対して俺様は見てのとおり抜けるような白っつうの?美しくね?」
 まあもう鍛えてもいねえから中身スッカスカだけどな。そう言って、更に指は降りる。
「俺はこんな風に眉間にいつも皺よせてねえし、顔もごつくねえ。いうなればスマート?やっぱ俺って最高だな」
「外見批難をしたいのか比較したいのかはっきりしろ」
「怒んなよ、ほれまた眉間が寄った。顔面筋肉痛になんぞ」
「原因を作っている張本人が言うな」
「聞こえねー。で、次。ここ」
 べたべたと顔を触っていた手が、す、と離れた。プロイセンの細い人差し指が、まっすぐに、ドイツの右目を指していた。
「目ん玉のいろ。違うな」
「…似たようなものだろう、BlauとViolettなど」
「おいおいよく見ろよ、俺の目はPurpurだぜ。よーく見ろ。そしてときめけ」
「意味が解らん…」
 二度目のため息を吐き出すと、二度目の高笑いが響いた。相当酔っている。
 プロイセンはその、紫の瞳をすっと細め、ドイツが開けたばかりの缶に口をつけるのを手でとめた。聞け、ということらしい。
「なあヴェスト、ぜんぜん違う色だろ?」
「確かに違うが、それが何だというんだ」
「お前も俺を見習って、詩的な表現をしてみろよ。無骨にもほどがあんぜ」
 あんまりお堅いとイタリアちゃんに嫌われんぜ?と追撃。別に嫌う嫌われるの間柄ではないが、喧嘩を売られたようでむっとする。引くという単語が辞書にないのはお互い様だと思った。
 言われたとおり、まじまじとプロイセンの瞳を眺めてみる。赤みの強い紫。たしかにViolettというよりPurpurだ。先程、髪の色を月と喩えていたプロイセンの言葉を思い出す。月。ならば――
「…空」
「ん?」
「空、ではないか、お前の目。夜の」
 夕暮れと夜の中間の、黄昏に似ているのではないか――そう思って口にした。
 プロイセンはしばらく、言葉の意味を咀嚼しているかのように沈黙し、互いが互いの目を見ていた。青と紫と。
 やがて、紫の色彩が閉じられそうなほど細く細く眇められた。
「ふう、ん。いい喩えじゃねえか」
 声音にこもる温度が、曖昧になっていた。先程までの、酒を含んだ熱さが沈下し、かといって冷えた訳でもない。
 真意を測りかねて、ドイツは沈黙した。何かまずいことを言っただろうか。これでも考えた方なのだが。
「夜空、ね。じゃあお前はあれだな、昼間の青空だな。天気のいい日の」
「気持ちの悪いことを言うな。似合わん」
「いや、似合ってるって。俺もお前も」
 言いながら、ドイツの手の中の缶をプロイセンが奪う。おい、と咎めるが、彼は気にもせず口をつける。
 中身を遠慮なく干し、白い喉が上下する。勢いよく呷ったせいで銀髪が揺れ、瞳はドイツを見ていた。
 たん、と音を立てて、食卓を缶の底が叩いた。
「うまい喩えだと思うぜ。赤紫の空――まさに俺そのものだ」
「…オスト?」
「戦火の炎に赤く燃えた夜。見飽きるほど見てきたぜ。その色を写しちまうんじゃねえかってくらい、沢山な」
 月がちりちり焦げて太陽なんかもう一生昇らないんじゃないかってくらいの夜、空は宵紫と紅にいつまでも燃えてた。
 そう言う彼の口調に、棘も皮肉も自虐もなかった。ただ、ドイツを見て笑っていた。
 笑みに嘘は無い。そして、口にした戦禍の空も。
 しまった――と、思った。まったく違う受け取り方をされた。弁明すべきか。そうじゃないと、俺が言いたいのは――いつか見た、幼い頃にともに見た夕焼けの。
 空っぽの手が汗ばむ。
 けれど、訂正したところで、何もかもが手遅れだということも、解っていた。
 そして、弁明行為自体が彼を傷つけるであろうことも――だから、
「俺は好きだぜ、この色。きれいだろ?」
 戦いのみで彩られた歴史を誇る笑顔で。
 そう言って自分の目を指差すプロイセンに、ドイツはただ頷くしかなかった。