【独普】Hallo! Mein bruder. Vollanken, bitte!
独×普人名パラレル・兄弟設定
兄のお下がりで車を譲渡された。
中古で買ったにしてはあまりにも高い買い物――『ビートル』の愛称で親しまれるVolkswagen Typ 1。しかも真っ赤で派手な。ギルベルトはもういらないから、と、俺にキーを投げて寄越した。
「足がないと困るのではないのか?」
「いや、新しい車買うんだ。それ、もともと妥協して買った奴だし」
お世辞にもきれいに扱われたとは思えないそれのボンネットに座り、ギルベルトは上機嫌に笑った。
彼は車が好きだ。勉強は大嫌いな癖に免許取得の為に早い頃から随分と勉強していたらしく、あっという間に免許を持ち、それまで貯めていた貯金を全部下ろして、先の中古のビートルを購入した。免許を取り立ての頃はよくドライブに(半強制的に)連れて行かれた記憶がある。カーブの度に死を覚悟したが。
しかしそれは過去の話で、培われた運転技術はたいしたものだ。もっとも法定速度に則らない運転を特に好むので、好んで同乗したくない。シートベルトも嫌う。
そんなギルベルトにさんざ乗り回された真紅のビートルは、ひどくくたびれて見えた。凹みと傷、まるで、喧嘩ばかりしていた兄の背中のようだった。不意に、もし自分が譲渡を断った場合、間違いなく廃車になるであろうこのビートルの結末を考えてしまい――俺は無言でキーをポケットに落とした。
いや、免許は持っていたし、不用品を役立てられるのだから合理的な考えだと思う。断じて、ビートルと兄を重ねて見てしまったわけではない。確かにビートルは小型車すぎて俺の体格には全く合わないが、リサイクルは未来を担う重要な行為である。
晴れて自分の所有車となったそれを、取りあえず外観だけでも見栄えを良くしようと庭で洗った。
ホースを伸ばして、長年こびりついた泥や汚れを丁寧に洗い流していく。それを眺めるギルベルトは依然上機嫌で、鼻歌など歌いながら、かつて所有していた車を眺めていた。
「買い換えると言っていたな」
「おう。元々、免許とったらそいつを乗り回すつもりでいたんだよ。でもそん時は買えなくてな、妥協してビートルにした」
なるほど、つまり、その目的の車に乗る為に免許をとったようなものだろう。そこまでして欲する車種に、俺は興味が沸いた。
「どこの車だ?やはりフォルクスワーゲンか?」
「いんや、トラビ」
「…は?」
「トラビだよ。トラバント。知らねえ?」
いや、知っている。『ボール紙でできた車』と呼ばれているくらい、アレな車だったと記憶している。そして確か、既に生産中止になっているはずだ。中古で購入したとしても、排ガスの問題で中身を弄らないと限定地区しか運転できない車だったような。
俺が難しい顔をして黙っていると、ギルベルトはものすごく、それはもう嬉しそうな顔をして、ジーンズのポケットから手のひらほどのミニカーを取り出して見せた。グリーンの、全体的に長細く平たい形をしている。
「これ、ミニチュアだけどよくできてんだろ?こいつに惚れ込んで俺は免許を取ったんだ。だけど当時は金も足りねえし造りの問題もあったし、無理でな。んでふてくされてるとこに、たまたまビートルが目に止まったんでそれにした」
「…そのビートルを手放すということは、トラバントを手に入れられる目処がついたのか?それはきちんとした車なのか?市外を問題なく走行できるレベルなんだろうな?」
「失礼なこと言うなよ。ちゃあんと排ガス問題もクリアして造られる、新しいトラビだぜ。まあ外観もちょいと変わっちまうみてーだがな。本当は昔のまんまのP601Lがいいけどよ、仕方ねえっつーか」
楽しみだぜー!と、ギルベルトはまるで子供に返ったかのように叫び、手のひらのミニチュアをビートルのボンネットに滑らせてはしゃいでいた。そんな姿を見て、俺も自然と顔が緩む。あまり車に興味はないが、新しいトラバントとやらを見てみたいと思った。
「良かったな。で、それはいつ手元に来るんだ?もう購入の目処はついているんだろう?」
「さあ?まだ製造されてねーし」
沈黙。
「…………………………………………………は?」
よく聞こえなかった。ホースの水が芝をたたく音が響く。
「…すまん、ギル、今、なんと?」
「だから、まだ製造されてねーからわかんねーって」
再びの沈黙。ばしゃばしゃと水が跳ねる。通り向こうの公園で遊ぶ子供たちの声が聞こえる。
のどかだ。
じゃなくて。
「製造されて、ない?」
「この前のモーターショーで発表されて、製造協力してくれるメーカーを探してるっていってたからな」
「それは、その、決定事項ではないのでは…」
「馬鹿野郎、造るのはトラビだぜ?トラバントだぜ?協力企業なんかあっという間に集まってあっという間に製造されるに決まってんだろ!」
「じゃあせめて、販売開始になるまで、その、ビートルはお前が…」
「ますます馬鹿か!トラビが帰って来るのにカブトムシに乗ってられるわけねえだろ!俺は浮気はしねえ!」
何を言っても無駄だった。
そうだった、兄は、頭が良くない。とても、頭が良くない。
勉強がどうとか言う前に、一直線の単純なのだった。
つまり兄は、販売されるかどうかも解らない車のために、現時点で使用している車を手放したというわけだ。しょっちゅうベルリンからこちらに遊びに来ているというのに、どうするつもりなのか。
…俺が迎えに行くのか。このビートルで。
「あー、楽しみすぎるぜ愛しのトラビ!早くお前を俺色に染めてやりたいぜー!」
未来の愛車のミニチュア版に音高くキスをしておおはしゃぎしているギルベルト。その目の前で、ビートルのミラーが、まるで涙のようにきらりと光った。
多分、俺の心情を代弁したのだと思う。少なくともこの小柄な真紅の甲虫とは、うまくやっていけそうだ。