【O・V】cyniCism

「撤退命令だと?」
 其の命を耳に入れた瞬間、無意識に声のトーンが一つ下がった。
 すぐさま、肩に挟んだ携帯電話の向こうから、僅か困り気味な色を滲ませた声がはい、と答える。何時もならば過ぎるほどに穏やかであるOの其の声には、若干の疲労と焦りのようなものが伺えた。
 母国の地、手配させたホテルの一室で、Vは常に刻んだ眉間を更に険しくさせる。こうしてインドまで出向いたのは、デュエルマスターを捜索・捕獲せよという、主たるザキラからの指令が在ったからだ。此処に到着したのは数日前―――未だ人を使った実働的な捜索にも移行しておらず、あちこちの資料と睨み合うばかり。とてもではないが、満足の行く結果など出て居ない。
 手にした書類は其の侭に、しかし文字に目を滑らせる事は止め、Vはソファの背凭れに身体を預けた。
「説明しろ」
『端的に申し上げます。UFOはエジプトにてDr.ルートの妨害より動力炉及び中枢制御装置が大破。捕獲済みであったデュエルマスター三名も奪われ、レーダーも使用不能の状態にあります。
 また、ザキラ様は先のデュエルマスターとの決闘で負傷され、現在はUFO内部にて治療中に御座います』
淡々と告げる中に深い苦味を込め、Oの淀みない報告は続く。
『現在、動力は40%まで復旧しておりますが、エネルギーの大半をザキラ様の蘇生ポッドに集中させている為、飛行は不可。内部の生命維持装置以外にかなりの起動制限が掛かっております。
 よって、現状態をコンディション・レッド、非常事態と認定し、ザキラ様の意識が戻られるまでの暫定指揮を、私、Oが執っております次第です』
「貴様らが揃いも揃って其の様か」
 無様だな。嘲りを含めてそう呟くと、申し訳御座いません、と、電話の向こうでOは云った。
 捕獲済みのデュエルマスターは三名とも奪われ、本拠地は大破、主は絶対安静。幾ら主戦力となる人員が不在であるとは云え、何とも酷すぎる有様だ。ザキラすら一目置いていると云うDr.ルートが出現したとなれば、確かに予測不可能の事態も頷けない事は無い。しかし、無様には違い無い。
 だがVにとって、UFOの大破も奪われた事もさしたる問題では無かった。手間は掛かるが、UFOは乗務員であったMやQが己が不始末を片付けるが如く迅速に修理すれば良い。デュエルマスターは再度奪い返せば良い。だが―――
「おい、O」
『はい』
「ザキラ様の御容態は」
  自身が唯一、膝を折るに足る人物―――主と認めた其の人の安否が、Vにとって何よりも重要だ。不滅と謳われていても、かの人は既に片腕を失っている。此れ以上の負傷は危険なのではないのか。
 Oは、険しくなっていた声に少しばかりの何時もの調子を戻し、しかし張り詰めたものは緩まぬまま、ご心配には及びませんよと答えた。
『先程も申し上げました通り、エネルギーの殆どをザキラ様の治療に注いでおります。直にお目覚めになられるでしょう』
「なら良い」
 Vは足を組み代え、手にした書類から手を放した。はらりと音もなく滑り落ちた十数枚の紙が、毛足の長い絨毯の上へ音もなく着地する。各地の伝承や少しでもカードに関係する現地のデータを集めさせていたが、拠点たるザキラの元でこのような事態が起こって居るのなら、何の意味もない代物である。
 起こった事は仕様の無い現実。責任の無意味な追及や陥る悲嘆、何故このような事になってしまったのかと只頭を抱えるのは、愚か者のする事だ。
 過去は変わらず、変えられない。成らば考えるのは既に起きた手の届かない現実ではなく、此の先の二手三手の更に其の先。嘆きも後悔も、何一つ役に立ちはしない。
 だからこそVは其れ以上の追及はせず、爪先で沈黙した書類を見下ろしながら、生来の、揶揄するかのような口調でもって、受話器の向こうへ問いかけた。
「で、この俺にどう命ずる心算だ?暫定指揮官」
『はい。V様には一度、UFOへ帰還して頂きます』
 詰るでなく只皮肉を込めた口調に揺るがず、Oは冷静に応じた。帰還と聞いたVの瞳が、すうと細くなる。
『レーダーの使用が不可能である以上、推測の域を出ませんが、Dr.ルートはデュエルマスターと切札勝舞と共に、エジプトから日本に帰国していると思われます。その後、同国で世界大会を開催―――デュエルマスターを其れへ出場させ、我々を誘き寄せる計画のようです』
「つまらんな。頭の足りん計画だ」
『動力炉の復旧は70%まで回復すれば飛行に差し障りは有りません。後三日程掛かりますが、V様は此の侭暫し待機して頂き、UFOが飛行起動し次第、お迎えに上がります。其の後は日本へ』
「其れには及ばん。直接出向く」
 日本へ参ります、と、そう続けたかったのであろう言葉を遮り、Vは云った。
『は…直接、ですか?』
「直接だ。空路を取って直接日本へ行く。迎えは要らん」
『しかし、V様―――』
「鈍々と足を待つのは時間の無駄だと言っている」
『ですが…』
 緩やかにしかし絶対的に、指令を覆すVに、Oの声が強張る。暫定指揮を執ってはいるが、位は比べるべくもなくVの方が上なのだ。
 指揮権が在る以上、逆らうなと命ずる事は簡単だ。だが、若干の笑いすら含めたVの声が、何時ものシニックな笑みを含んだ其れでありながらも、内側から激しく憤って居る事に、Oは気付いてしまった。
「此度の一件、Dr.ルートの仕業なのだろう。始末は誰に命じている?」
『いえ、まだ其処までは…』
「ならば俺が始末する。名に高いDr.ルートという男、相手にしてみるのも面白い。
 ―――其れに、既に日本に向かっているのだろう、あれも」
『あれ、と申されますと』
「あの人形だ」
 そう云い、Vは喉の奥でくつりと笑った。口調は静かな揶揄を混ぜたかのような、常と代わらぬ声。其の中に、先程Oが感じとった憤りの炎と戯れの影が揺れている。
 たった一人の主の尊厳を穢した男に其の代償を払わせるのは、自分以外の誰にも在り得ない。主への侮辱は己への侮辱に等しく、幾ら禊ごうとも洗い流せる罪では無い。命一つでは釣り合わず、デュエルマスター三人分を其処へ足して漸く平衡に足る代物だ。
 そして自分がインドへと遣わされたのと同じように、日本にはWが居る。戯れに弄んでやるのも悪くない。尤も、其処でデュエルマスターを居る分だけ狩ってしまえば、賭けの天秤もつまらないほど此方へ傾いてしまうのだが―――最終的な勝者は自分であると確信しているが、其の道程はリスキーである方が余程愉しい。
 其れも已む無しか、と、一度瞑目し、Vは再度口を開いた。
「何度も言わせるな。貴様らの愚鈍な迎えを待つ時間が無駄だと言っている。無礼者をのさばらせるのは不愉快だ」
『…分かりました。其れでは、V様には其の侭日本へ向かって頂き、Dr.ルートの始末、及びデュエルマスターの捜索をお願い致します』
 声音の内側に怯んでか、其れとも、Vの云う通りの無駄を悟ったのか。幾許かの沈黙の後、改めて指令が下された。Vは口元の笑みを深くし、爪の先に落ちた書類を踏みつけて立ち上がる。
「其れで良い」
 其の侭通話を打ち切ろうとしたが、お待ち下さい、と携帯電話からはOの声が続いた。切ろうとした事を予測されていたのか、仕方なく耳に押し付ける。
『任務内容は先程申し上げたとおりですが、報告は必ず行うようにして下さい。特にデュエルマスターの所在に関するデータは、どんな些細な事でも此方へご連絡を』
「了解した」
『Dr.ルートの居場所の見当については後ほどお調べして転送致します。彼は神出鬼没のようですので』
「必要ない。此方で調べる」
 此れ以上の会話は不要と判断し、Vは返事も待たずに通話を切った。
 主の右腕は、Vには些か口煩く感じる。紳士である事は理解しているし、頭脳や特殊な決闘能力も目を見張るものがある。だが、先程の指令にしても何にしても面白みに欠ける。ザキラを慮る余りに、手管が堅実すぎて退屈なのだ。
 時には何もかもを置き去りにしても、奪い掴み取らねば意味の無いものもあるというのに。
(つまらん男だ)
 硬い音を立て、携帯電話を折り畳む。ちらりと視線を這わせれば用済みの書類の数々が、極彩色の絨毯に散らばっていた。
 拾い上げるような真似はせず、踏みつけ、或いは蹴散らし、Vはソファの設えられた部屋から寝室へと足を向ける。設えられたクローゼットの中から外出用のスーツを引き出し、ベッドの上に放った。
 暫定ではあるが指揮者から正式な指令が下ったのだ。命ぜられた全てには迅速に取り組むのが、主への礼儀にして忠義の証と自負している。公共機関を使用するには少しばかり目立ちすぎる衣服を脱ぎ捨て着替え乍ら、Vは先程閉じたばかりの携帯電話を再び開いた。
 メモリを検索、該当した一件に発信。機を肩に挟んでワンコールの内に、目的の相手と通話が繋がった。
「俺だ。日本までの足を最短で用意しろ。…ああ、そうだ。直ぐに出る。後、到着までに所在を洗いたい男が居る。詳細は車の中で伝える」
 カフスを留め乍ら、聞きなれた声で応じる相手と交わす一方的な会話。通話は一分も掛からず終わった。
 部屋を軽く見回せば、インドでの捜索の拠点となっていたこの一室は、書類などの紙面を主にして酷く雑然として居た。無用となった資料の類は、今に此処へ来るであろう、足を用意する手足たる連中が手際よく始末して行くだろう。此処に滞在する理由はもう無いのだ。
(全く、とんだ無駄足を踏んだものだ)
 唇から軽く嘆息する。外出を悟ったのか、ベッドの傍らで待機していた愛機が、金属の関節を滑らかに動かし、其の巨体にしては軽やかな音を立てて足元へと滑り込んできた。
 生きた虎と同じ動きで、しかし其の何倍もある体躯でもって、Vの肩口あたりに機械の鼻先を寄せる。
 其れをさせたい様に纏わり付かせた侭で、不意に視線を上げると、眉間を刻んだ己の顔が、寝室の鏡へと映りこんでいた。
 何時もの服装ではなく、奈落の色をした漆黒のスーツと、罪人を罰する極赤の焔と同じ色のタイ。鏡の中の己と目が合い、Vは其処で、ニイ、と、唇を皮肉に曲げて、笑った。
 ―――突き刺すような憤怒と、同等の愉悦を込めて。

「今度こそ、退屈せずに済みそうだ」