03 パッシブ・スタンダード(last)【R18】
「ッ…!」
頭の足りないおねだりに、息を呑んだのはバクラの方だった。
淫らな格好。無自覚な分たちが悪い。腰を突き出して、晒した性器にバクラの指を絡めさせ、首に背中に湿った髪を張り付かせて悶える姿。それら全てが、絶頂を求めてすがって来る。
ごくり、と、喉が鳴った。
蹂躙したい。
一切合財はらわたの奥まで熱烈に、内臓を突き破るほど残酷に――
「ひ、ぃっ!?」
悲鳴を聞いた後に、バクラは自分が願望をそのまま行動に移していたことに気がついた。目の前の裸身が雷撃を受けたかのように跳ねて、顔が向こう側に向いてしまうほど喉を反らせている。何故かと言うと、あれだけ自分は動かないと言い張り手管に絡めていたバクラ自身が、欠片の容赦もなく内側を突き上げたからで。
一瞬のめまいの後にはもうそうしていた。手管もお礼参りも性根の悪い意地悪も忘れていた。もう締め上げて手綱とをることすらどうでもいい。五指をめり込ませて再び捕まえた腰に、思うさま、欲動を叩きつける。
「ぅあ…、ッあ、あ、あっ!」
己で望んだ癖に、獏良は半ば怯えたような声で断続的な悲鳴を上げた。本能的な恐怖を感じたのか、身体を捻って逃れようとする。体勢的にねじ伏せることが出来ない分、バクラの両手は獲物を捉えた虎鋏のように頑なだ。してくれっつったのはてめえだろうが逃げてンじゃねえよと、食いしばった歯の隙間から吐き捨ててやったような気もする。そのあたりすらもう胡乱になりつつある。
きつく噛んだ歯列の隙間から、シィ、と、鋭い息が繰り返し漏れた。温く忙しない呼吸ではない、高ぶった精の吐き出し口は肉に埋まった一箇所だが、この何か得体の知れない熱を身体から外へと逃がす場所がどこにもないのだ。
「あ、ッや、ばく、バクラ、ぁ、あッ、あ…!」
容赦なく叩きつけている間じゅう、切羽詰った声で何度も名を呼ばれた。
いちいち答えてやる気にもならない。そんなものに気をやっている暇はない。この塊を吐き出したい。それもこれも全部てめえのせいだとバクラは唸った。手筈なんて吹っ飛んで、あの頭の悪い強請り声にかき消された。
今まで何度も交わってきて、それこそあれ以上にみっともない言葉を聞いてきた。なのに何故。わかっている、たぶんあの目が悪い。淫蕩な格好をして、あんな目で――気持ちの悪い、甘ったるい声で。
「いっ、ぁッ、ぅぁ、あッ!」
思考は悲鳴で乱される。今考えていたことが霧散して、揺れる髪が目に入った。辿って首筋、胸の傷跡、過呼吸に喘ぐ腹、そして性器。
どうやら獏良の方は枷を外された時点で既に射精していたらしく、腹がべたべたに汚れていた。それすらどうでもいい。
揺れる上半身ががくんとこちら側に戻ってくる。自分自身の体重を支えられないようで、胸に手をついても肘から崩れた。鎖骨の辺りに額をしたたかに打ち付けた獏良が泣き声を上げる。痛みにではなく、鋭角になる内部の苛みに耐え切れないのだ。
「バクラ、ねえ、ねぇ、ッ」
その先のない、途方もない呼びかけが繰り返し鼓膜を震わせる。しがみついてくるので余計に動きづらく、バクラは忌々しげな舌打ちをした。鬱陶しい。抱え込んで、横向きに転がって体勢を反転。横腹を闇の床につけ、不自然に腰を捻った獏良を容赦なく押さえつける。あとはもう、一方的だ。
白い髪を散らばせて、組み伏せられた獏良は目を開けた。
恐らくはとんでもなく獰猛な目をしているであろうそのけだものじみたバクラの顔を見て、そうして何故か――微かに、笑ったようだった。
「何でぶんむくれてるの?」
無言で制服を羽織るバクラの背後で、ふわふわと浮きながら獏良が問いかけた。
何でもなにもない。目覚めたら身体の所有権を押し付けられ、学校いってねサボらないでねボク寝てるからね、と三連打で言い放たれたのである。何でオレ様が、と言ったら強姦魔は黙っていうこと聞いてよときたもんだ。大体あれは強姦ではない、してくれと言ったのはほかならぬ獏良自身だというのに。
もっとも、ぶんむくれている理由はそれだけではない。
最も深い原因は、昨晩、前後不覚になるまで交わりつくしたあの時のことである。
何だかよく解らない衝動に爆発し、己をねじ伏せたバクラを見て、獏良はどうも笑ったようなのだ。
曰く強姦と称されても差し支えないほどの乱暴なセックスを一方的に繰り広げる相手に向かって、何故獏良は笑ったのか。それもあざ笑うでもなく、気持ち悪いほどぬるい様子で。
ひょっとして獏良は、バクラのいうとおり腹に乗せられた挙句屈辱的な言葉責めにあったことに対する仕返しとして、わざとこちらを煽るような誘い文句を口にして、結果的にはいつもどおりのマグロ、ただ受けるだけの受動態に持っていったのではないか。内心しめしめと思って、思わず笑ったのではないか。そんな風にも考えたが、それならばあんな、滲むような笑みにはならないだろう。
問いただしてやろうと思っていたけれど、朝は開口一番、アレである。タイミングを無くして問えず、何か言おうとすればああ腰が痛いなあ背中も膝も全部いたーい今日は学校いけなーい、である。
かくしてバクラは獏良同様だるくて痛くて仕方ない身体を叱咤して、登校の準備をしているということだった。
「ねえ、バクラってば」
だんまりを決め込むバクラに、頭上から回り込んだ獏良がしつこく食い下がってくる。うるせえと一言言い捨ててやると、それこそわかりやすく頬を膨らませて向こうを向いた。
全く、まるで昨日の乱痴気騒ぎなどなかったかのような様子だ。いっそそうであって欲しいとさえ思う。
朝食をとる気にはなれず、水だけ飲んでバクラは靴を履いた。今日は一日宿主サマの振りをしていなければならない、そう思うと億劫だ。演技をするのはそう難しいことではないが、朝からこれではもう全てがかったるい。
教科書を律儀に持って帰る獏良の鞄は重い。ずっしりと響く。
玄関の扉に手をかけたところで、不意にねえ、と、小さな声で呼びかけられた。無視しづらい細い声だったので、つい振り向いてしまう。
思ったより近くに、獏良の顔があった。
「な…」
んだよ、と、続きの言葉を何故か、飲み込んでしまう。
面食らったバクラの鼻先で、あの微笑みがまた、じわりと咲いた。
「いつも通りが一番、気持ちいいんだよ」
嘘じゃないんだから、勘繰らないでね。
囁くような声で言って、獏良はそのまま、すうっと消えた。
姿すら現さなくなったということは、心の部屋で完全に寝に入ったのだろう。目の前には見慣れた廊下とそこから繋がるリビングがあるだけで、半透明の宿主サマ、は、そこにはいない。
自分の口が開きっぱなしだったことに気がついて、バクラはその口で溜息をついた。
いつもどおり、だって?
マンネリ化してきたとか言っていた癖に、いつもどおりがいい?面倒くさいとかつまらないとか、さんざん言いたい放題口にしていたのに?
はたと思い出す。そういえば、獏良は文句こそ吐いたけれど、いつものセックスが嫌だ、とは言っていなかった。
つまりは、そういうこと――なの、だろうか。
「…どういうことだよ」
無理やりまとめてみようとしたが、うまくいかなかった。
感覚的、フィーリング、そんなものがふわふわとおぼつかなく形を作っている。まるであの微笑みそのもののようだ。そいつらを無視して、ごちゃごちゃと解りづらいことを放置して言葉をそのまま受けとったなら、獏良はいつもどおりを望んでいる。残った結論はそれだけだった。
イコールで結べば、宿主サマは今後もマグロ姿勢を貫かれるおつもりということで。
そうして自分はまたしても溜息を吐き出す羽目に陥る、そういうこと。
「…結局何も変わっちゃいねえじゃねえか」
腑に落ちない気分で、バクラはがりがりと頭を掻く。
持ち上げた左腕は、昨晩の交わりの名残を訴えるかのように、肩の辺りで重たく軋んだ。