virtual space

「いまボクたちはゲームの世界の中に居ます」
 しゅたり、と右手を高く上げての宣言。に、手の中のカードをぱさりと落としたバクラは絵に描いたように嫌な顔をした。
「何トチ狂ったこと言ってんだ」
 ノリの悪い声でそう呻くバクラは、現在デッキの調整中。物質に触れる以上、肉体の支配権も現在は彼の手の内にある。そして獏良はというと、その背後であっちにふわふわこっちにふわふわ、退屈を体言しながら日曜の昼間を過ごしていた。
 あまりにもつまらなすぎたのか、唐突に言い出したのが先ほどの発言。またぞろ面倒なことが起こる予感に、バクラはうんざりと顔を上げた。
「寝言は寝てから言いやがれ」
「寝てないよ。今この部屋はゲームの中にあると思って遊ぼうって話」
「今忙しい。後にしな」
「今暇なのに後にしてどうするの」
「見て分かんだろ、デッキ調整してんだよ」
「大丈夫だよ、お前強いし。下手にいじくらない方がいいよ」
「うまいこと言って付き合わせようって魂胆が見え見えなんだよ、てめえは」
「ばれた?」
「ばればれだ」
 ちぇー、と言いながら、半透明の身体が半回転。バクラの背後からさかさまに、頭が落ちてくる。重力の影響を受けない身体でそれでも揺れる長い髪が、はさはさと舞った。
「つまんないよ、遊ぼうよ」
 しつこくねだる唇がきゅ、と尖る。それを知らん振りしたいバクラが顔ごとそっぽを向くが、ついてくるさかさまの首は真正面からじっとりとした視線を送ってくる。
 睨み合って、敗者は溜息。広げたデッキをそのままに、バクラは片手に残っていたカードをテーブルの上に捨てた。
「…で、どんなゲームなんだ」
 遊ぶ前から既に疲れた声でもって、バクラが言う。獏良はにっこりと笑って、さかさまから正常な向きに戻った。
「ボクらはいま、仮想世界で生活するプレイヤーです」
「それで?」
「ここはゲームの世界なので今日一日の行動はすべてダイス判定になります」
「………めんどくせえ」
「お得意のイカサマは禁止だよ。判定は二択。出目五〇以上で実行可能、以下なら実行不可能。ファンブルだったら罰ゲーム」
「単純すぎてゲームにもなんねえだろ、やる意味あんのか」
「ゲームマスターの言うことは絶対。TRPGの基本だよ」
  分かったらダイス持ってきてね、と、獏良は部屋を指差す。シナリオばかりが溜まっていってプレイすることはもう殆どない、大分使われなくなって久しいアイ テム一式をちらりと見てから、バクラは心底かったるそうに腰を上げた。億劫な足取りで行って戻って、手の中には十面ダイスが二つ。軽く放り投げて見せてや ると、獏良は満足げに頷いた。
「じゃあまず最初の選択肢。バクラ、どうしたい?」
「とりあえずこのゲームをとっと終わらせてデッキ片付けてえんだが」
「じゃあ判定。ダイスロール」
 にこにこと笑って、何が楽しいのかさっぱり分からないが獏良は手を叩いて見せた。やってらんねえ、と一言呟いてから、言われたとおりにダイスを放る。イカサマを禁じられていなければ二度当てでさっさと終了させられたというのに。
 カラカラと音を立ててテーブルを転がる出目は、忌々しいことに芳しくない数字だった。
「わ、めずらしい。お前が危なっかしい出目出した。残念ながらバクラはこのゲームから抜け出せませんでしたー」
 思わずぎろりと睨むと、ものともせずに爽やかな笑みが返される。
 怒ってもこちらが疲れるだけだ、と自己暗示。つとめて冷静かつ面倒くさい仮面をつけたまま、バクラはダイスを拾って持ち上げた。
「ほらよ、宿主サマの番だぜ」
 身体代わんぞ、と交代の意を見せると、獏良はふるふると首を振った。
「ボクは選択肢を言うだけ。ボクのぶんも、振るのはお前」
「何だそりゃあ」
「お前の方が運強いもん」
 ますますもって意味が分からない。何か裏の目的でもあるのだろうか、勘繰りたくなるほどこのゲームの意図がまったく見えない。おいてけぼりのまま憮然としたバクラを見つめ、獏良は甘く口を開いた。
「ボクはこれから、心の部屋に下りてお前とあんなことやこんなことがしたいんだけど」
 そう口にした唇をついと笑みの形に吊り上げて、意味ありげな微笑。
 バクラの顔が、いぶかしさを保ったままできょとん、としか表現のしようがない複雑な表情を浮かべた。
「…なんだって?」
「だから、今から教育上不適切なことがしたいから、その判定をお願いしてるんだよ」
 反応を楽しむかのように、微笑みを浮かべたまま獏良は軽く首をかしげてみせた。
 なるほど、したかったのはそういうことかと今更納得する。つまりは遠まわしなアアイウコトのお誘いであって、宿主サマは暇つぶしにいやらしいことがしたいらしい。だのにバクラが黙々とデッキをいじっているのでご不満だったわけだ。
 そういうことならこちらも乗りようがある。ダイスを掌で転がして、バクラもまた口元を吊り上げた。
「この仮想世界には、心の部屋もあるってか」
「何でもあるよ。それに、何にだってなれる。宿主でも千年リングでもない誰かに、なろうと思えばなれる世界。ってことになってるんだ」
 ちょっとおもしろいでしょう?
 獏良は不満の意でなく唇を尖らせて、どこか物欲しげにも見える形に目を細める。そうだなと同意すると、瞳はますます細められた。
「大事な宿主サマだと思って手加減してやる必要もなくなるわけだ」
「ちなみにここでファンブル出したらボクの負けだから、お前のお願い叶えてあげることにしよっか。そうだなあ、ゲーム止めてデッキ調整に戻ってもいいよ」
「そうかい、そいつは重畳」
 言いながら、ファンブルを出す気は全くない。デッキは後でもいじれるが、もともと快楽主義者たるバクラである、愉悦できるタイミングは手放さない。
「それじゃあダイスロールだ。覚悟は良いかい、ゲームマスター様?」
 おどけて言って見せる。すると、獏良はくすくすとうれしそうに笑って手を広げてみせた。
 促されるまま、ダイスを小さく放り投げてキャッチ。指と指の隙間に挟んだそれを、バクラは悠然とテーブルへと放つ。
 出目がなんと現れたか。それは数秒後にもぬけのからになった[仮想世界]のリビングが、誰よりも何よりも雄弁に物語っていた。