【同人再録】Coupies-1 閑話休題オレンジライン


発行: 2010/08/22
色がテーマのなんかぽやぽやした短編集。サイト公開中の「ライアーズレッド」「イエロープラネット」「ソーダブルー」を再録して、書きおろし5本を追加した一冊。描き下ろし分のみ掲載です。

・小説:書き下ろし+再録
・表紙:696


閑話休題オレンジライン

 

 開かずの踏切というものは日本各地のどこにでもある。
 電車に乗っている間には、どこに踏切があっていつ通過しているかなんてほとんど気にはしないだろう。しかし地面を歩いて移動している時に、これほど迷惑なとおせんぼはない。
 黄色と黒の、注意を喚起するストライプの遮断機はもう永遠に持ち上がらないのではないだろうか。と思うほど、獏良の行く道を塞ぐそいつは頑なに両腕を下ろしていた。割れ金を叩くカンカンというおなじみの音は鼓膜に張り付いて頭痛まで誘発する始末だ。
 大きな駅がすぐ脇にあるせいで線路が多く、さまざまな車体色が滑り込んではホームで停車し、その間にまた新しい電車が行ったり来たり。ひときわ目立つのはこのあたりでいっとう利用者数が多い、銀色のボディに明るいオレンジ色のカラーリングがされた妙に派手な電車だ。上りと下りでせわしなく通り過ぎる、そいつは間違いなくこの開かずの踏切の主であった。
 遮断機の前にはものすごい量の人が、苛々とした顔で前方を睨んでいる。蟻の行進さながら長い列を作る車の窓ごしに連なるのは、不満げな顔をしたドライバー達の横顔。
 加えて、八月葉月の真っ只中。
 とどめを刺される気分だ。せめてなるべく人のいない、近くのコンビニの日陰でしゃがみこんで、獏良は額の汗を拭った。
「くらくらする」
 ぼそりと呟いても、周りには誰もいない。居たとしても繁華街の喧騒と蝉の声、遮断機のアラートの三重奏で誰にも聞こえないだろう。
「おなかすいた」
「首と腕が熱い」
「べたべたして気持ち悪い」
「あたまのてっぺんがひりひりする」
 一度口に出したら止まらない。連ねて並べた文句に、すぐ横に立ったバクラが一切の同情のない声で言った。
「だから帽子かぶってけっつっただろうが」
「お母さんみたいなこと言わないで。だいいち帽子なんてかぶったら蒸れて暑いよ。はげるよ」
「いっそ切れ、そんな長ったらしい髪」
「切ったら嫌なくせに」
「……」
 言葉に詰まったのでバクラの負け。少しいい気分になって、ふふんと鼻を鳴らす。
 帽子はいやだけれど薄手の長袖くらいは羽織ってくるべきだった、と獏良は少し後悔した。
 生まれつき色素の薄い肌は、強い陽光を受けると焼けずに赤く腫れる。目的地は駅からすぐ近くだったので、さっさと移動すれば日差しなど恐るるに足らずと過信していたのだ。まさか辿り着く目前に、こんな巨大なトラップが待ち受けていようとは。
 毎年、夏になる度に同じことで苦労するのに何故人は過ちを繰り返すのだろう。バクラを言い負かしたご機嫌から一転してアンニュイな気分に浸っている暇は、残念ながらたっぷりあった。忌々しい遮断機の向こうにまた一つ、オレンジ色の車体が滑り込んできたのが見えて、暗澹とした気分になる。
「水風呂に入りたい」
「帰ったらな」
 視線をゆるりと上げると、自分自身と同じ服装をしたバクラが腕を組んで向こうを睨んでいた。
 あまりにも暑いという理由で、うなじより少し上のあたりでくくった髪。ボーダー柄のTシャツの上にサマーパーカー。七分丈のジーンズに底の浅いスニーカー。
「似合わないね」
 思わずそう言ってしまった。ぎろり、とものすごく不機嫌な視線が、真夏の太陽光線より容赦ない角度で獏良の方へと突き刺さる。小動物なら殺せそうな眼光だったが、獏良にとっては慣れた目でちょっと睨まれただけ、程度なものだ。うちわ代わりに手をぱたぱたとさせて、あーあとため息をつく頃には自分の言ったことも忘れている。
 がたんがたんがたん。後発の電車がやっと、上りの方向へと進んでいく。
 それをじっとりした目つきで、二人で追う。
 暑くて、だるくて、退屈だ。
「ねえバクラ」
 あまりにもやり過ごしづらい退屈に、獏良は唯一の話し相手に救いを求めてみた。何せ同行者が彼しかいないのである、暇つぶしの矛先はたった一人だ。
 不機嫌なそいつは視線こそよこさないものの、何だよ、と律儀に答えを返してきた。何をそんなに苛立っているのか獏良には理解できない――自分の言動が原因とは欠片も思っていないのである――が、会話のキャッチボールが成立するなら問題はなし。
 とはいえ具体的なお喋りのネタがあるわけではない。暑さでうだって朦朧とする頭に浮かぶ適当なことを丸めて言葉にして、口から吐き出す獏良である。
「お前さ、いろいろできるじゃない?」
「何だ、いろいろって」
「いろいろは、いろいろだよ。何か魔法みたいな、悪いこと」
「頭の悪い説明すんじゃねえよ」
「とにかく、できるじゃない。フツーの人じゃできないことをさ」
「まあ、できなくはねえな」
「じゃあさ、こう、電車をさ」
「あ?」
「破ァー! ってやって、止めたりできない?」
「ハァ!?」
 素っ頓狂な声を上げて、バクラはがばあ、と獏良を見た。
 目にはこいつ何言ってんだわけわかんねえという色がありありと浮かんでいる。そんな顔で見下ろされていることに対して獏良はまったく気にもせず、コンビニの看板のおかげで影になっている部分からはみ出すくらい長く腕を突き出して、こうだよ! と力説した。
「『ハァ?』じゃないよ、『破ァー!』だよ。なんかこう念力的な何かで」
「…できたとして、どうすんだよ」
「電車が止まってボクとここにいるみんなが喜ぶよ」
「乗ってる連中は真逆だがな」
「バクラはボクが日焼けと空腹と脱水症状で苦しんでいるのに、見ず知らずの人たちの快適な電車移動を優先するんだね…」
「言ってろ。第一、踏切の真ん中で止まったりしたらどうすんだ。お前らも中の連中も立ち往生だぜ」
「そっか。じゃあ止めるんじゃなくて吹っ飛ばすっていうのはどう? もういっそ踏切ごと。そしてここにお花畑を作るんだ」
「そうかよ…」
「緑化効果で涼しくなるしね。そうしたらみんながわーってなってお花畑できゃっきゃうふふってできるでしょ? 苛々も解消、みんなにこにこ。うん、素敵だ」
「てめえもそこでごろごろするって寸法か」
「ううん、ボクは早く帰ってお風呂入ってクーラーを二十度に設定した上でアイス食べて寝る」
「帰るのかよ!」
 見事な突っ込みがびしっときまったところで、また一本、オレンジ色の電車がものすごいスピードで通過していった。
 快速電車だろう、長く連なる車体は一本のラインになってあちらからこちらへ。このあたりはカーブがないので、線路は定規で引いたような直線だ。減速せずに過ぎていく。
 がががががと辺りに響く轟音を鳴らせて過ぎていくそれを、獏良はじっと眺めていた。
 もしいきなり線路が消失したら、流星のように空に向かって飛んで行ってしまうのではないか。
 まさしくその姿は、銀河鉄道999。
 ちら、と、期待した目でバクラを見る。
「…やらねえからな」
「けち」
 お互いぷいっとそっぽを向いたところで、立ち往生は終了。開かずの遮断機が漸く、アラートを歌い止めて腕を上げた。